SSブログ

「全国まちづくりカレッジ」を開催する [都市デザイン]

今日は、江東区において「全国まちづくりカレッジ」を開催する。うちのゼミが幹事校なので結構、大変だ。全国まちづくりカレッジ(通称:まちカレ)とは、地域(商店街や商工会議所、地元市町村やNPO 等)と協働したまちづくり活動に携わる、日本各地の学生や大学関係者等が一同に会し、お互いの交流を図り、まちづくり活動の学習や実践に結びつける情報やネットワークを参加者が得るために開催されるまちづくり大学関係者の全国大会だ。2002年の関西学院大学による初開催から1年弱のペースで続き、今年10 月の東京開催で11 年目、14 回を迎える。

これまでの大会は地方都市でやられることがほとんどで、実は東京で開催されるのは初めてだ。130人ぐらいの学生が一堂に集う。私のゼミの10年あまりの歴史の中でも最大規模のイベントとなる。さて、このようなイベントを実施するにあたって思うのは、私が以前、大学の同級生に言われた「学生と遊んでばかりいないで、もっとしっかりとした仕事をするべきだろう」という言葉である。

確かに、学生と遊んでいる、という表現は間違っているわけではないが、そもそも教育者という側面もあるわけだから、学生とまちづくりなどすることがそんなに否定的に捉えられるのは心外であった。というか、彼は、教育ということに関して相当、レベルが低い行為であると思っているようであった。ちなみに、彼は政治家を生業としている。私は、大学の教員になる前は、中央官庁の役人のお守りをするような仕事をしていたのだが、役人のお守りより学生のお守りの方がずっと筋がいいと思う。しかも、実はお守りをしているようでいて、お守りをされていたりもするので仕事としては相当、美味しい。

彼は私が大学教員になったことで、ずいぶんと社会的影響力がすくなくなったと思っているようだが、シンクタンクで働いていたら、社会的影響力があると思うのは幻想だ。ほとんど自分の意見など通らないし、そもそも自分の意見を持つということが否定的に取られる。日本のシンクタンクなんて、所詮、役人の知識階級奴隷である。ただし、そのような状況を客観的に捉えてしまうと自殺したくなるので、また、役人的な世界の人たちも奴隷に自殺されると困ると思ってくれるのか、たまに心にもないお世辞を言って、虚栄心を維持してくれるように振る舞ってくれたりはする。しかし、何しろ自分の時間も持てないので、相当、才能を持っていてもインプットがなく、アウトプットばかりなので、摩耗していくばかりで、最終的にはぼろくずのようになってしまう。ぼろくずのようにならないようにするのは、大変だ。

私は、精神面だけでなく肉体面でも死のちょっと手前(というか正確には2年)のような状況に置かれていたので、会社を辞めるということにはまったく躊躇もしなかったし、実際、大学教員になってはるかにハッピーになった。2年後に発見されたら手遅れだったね、と言われたものも取ってもらって、そう言われてからもう10年間も生きている。自分の時間もはるかに持てるようになったし、会社員時代にあれだけ出したかった本も、単著で5冊、翻訳本の単著1冊、共著2冊、三浦展さんとの共著だけで3冊も出している。会社員時代も実は上司であった三浦さんとは共著で出しているが、これはゴーストライターとしての仕事であったので、私の名前は一切、出ていない。私はどうも会社員時代、「死ぬまでに本を一冊ぐらいは出したい」と妻に言っていたらしく、私はそんなことを言った記憶はないのだが、その話をきくとつくづくつまらない人生を歩んでいたのだな、と思ったりもする。また、三浦展さんは会社を辞めた後、ベストセラーである下流社会を出されたが、これが会社で出していたら印税はほとんど会社に入ってしまっていた。金銭面で考えても、本当、三浦さんも会社を辞められてよかったなあと思うのである。なんか、会社や役所などで働くのは一流で、大学で働くのが三流(三浦さんは大学で働いた訳ではないが、大学を転職先としては意識していた)という考えは、あまり納得できない。

そういうことを踏まえると、私がこれまで学生と「遊んでいた」成果として、まちカレを開催できるようになったことは素直に嬉しい。会社を辞めて大学で働くことになって「学生と遊ぶ」ようになったことはまったく後悔していない。ということを考えながら、これからまちカレに臨みたいと思う。

nice!(0) 

nice! 0