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新大阪駅の醜悪なる景観をどうにかすべきであろう [都市デザイン]

大阪に新幹線でくるたびに思うのは、新大阪駅の都市景観としての酷さである。駅舎そのものの劣悪なる意匠をはじめとして、駅前広場の茫洋とした駐車場の醜さ、そして、駅を貫通する高架高速道路の醜さ、さらには周辺のビルの醜さ。さらには、その土地利用の調和が取れていないことから生じる周辺地域の醜さ。この醜さは、とても大阪という世界に冠たる大都市の玄関口とは思えない。

新大阪駅が出来たのが1964年であるから、それからもう50年が経つ。この50年は、大阪という東京と双璧をなす日本経済の二大拠点の一つがひたすら衰退して、今では一地方都市とまで言われるほど転落していった歴史である。私は、相当、我田引水ではあるなと自分でも理解しつつ、これは新大阪駅という都市の玄関口をしっかりと整備できなかったことが一つの要因というかトリガーではないのかとさえ思うのである。それくらい、新大阪駅は酷い。

そもそも、その都市の中央駅は、その都市の玄関口としての風格を備えるべきものである。東京駅、ソウル駅、アムステルダム駅、ニューヨークのグランド・セントラル・ステーション、ロンドンのヴィクトリア駅、ワシントンDCのユニオン・ステーション、ローマのテルミニ駅、マドリッドのアトーチャ駅、フランクフルト駅、ライプチッヒ駅。ベルリンは分断されていたのでツォー駅にしろ、オスト駅にしろ、さえなかったが統合した後は、ちょうど東西ドイツの境があったところに素晴らしい中央駅を新たに整備した。それは、ポツダム広場や国会議事堂とともに、新しい統合されたベルリンという都市の象徴となるような空間となっている。

しょぼい駅を有している都市がない訳ではない。プラハ駅なんかは、そうとう今ひとつだ。また、ドレスデンも都市の格を考えると今ひとつである(とはいえ、再建しているので、もう今は素晴らしいものとなっているかもしれない)。ハンブルグも中央駅はともかく、アルトナ駅はそれほど立派ではない。しかし、それでも周辺の都市環境まで含めると新大阪駅の酷さは群を抜いている。もちろん、大阪市民は大阪駅こそが玄関口であり、新大阪はただ、新幹線が停まる駅にしか過ぎないと反論するかもしれない。確かに大阪駅・梅田駅はなかなか立派である。しかし、新幹線で初めて大阪に訪れる人達は、新大阪が大阪の第一印象を与える。外資系があまりにも東京に集中しているのは、この新大阪駅が与える大阪の第一印象が悪すぎるというのもあるのではないだろうか。これは、京都駅や新神戸駅に比べても遙かに悪いものであると思われる。

どこが悪いのか。というよりかは、相当、悪意がないくらいでないと、ここまで酷いものができないとさえ思うのだが、まず歩行者の動線がない。駅の周辺はホテル街なのだが、これらのホテルにアクセスするのが大変過ぎる。あまりにも自動車のアクセスを重視し過ぎているのだ。もちろん、自動車のアクセスを確保することは重要ではあるが、歩行者の動線、視線等をここまで二の次にする必要はないであろう。さらにオリエンテーションが悪い。オリエンテーションが悪いことで空間のレジビリティ(空間を読み取ることのできる環境)が悪すぎる。オリエンテーションは、中央駅などの設計においては極めて重要なものであるのだが、そういう重要さが皆目、理解されていないのではないかと思われる。何しろ、新大阪にはJR西日本の本社があるので、この点をちょっとでも理解されていたら改善するだろうと思われるからである。ヨーロッパの中央駅の多くが、デッドエンドのターミナル形式を取っていたのは、都市と駅とのオリエンテーションを明確にしようとする意図があるからだろう。シュツットガルト、チューリッヒ、ライプチッヒ、アトーチャ、アムステルダム、テルミネ、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラなど、みなそうである。

新大阪はデッドエンドではないのだし、そんな点を配慮しなくていいのだ、というのは理解できる。しかし、逆にそのようなターミナル型でないがゆえのオリエンテーションの欠如をむしろ都市デザインで補完すべきであったと思われるのだ。特にJRの巨大な線路と新幹線とで空間が四等分されていることからも、そのような工夫をより考えなくてはいけなかったにも関わらず、しなかった。それが、駅がつくられて50年も経ったにも関わらず、相も変わらず、醜悪な都市景観を露呈させているのであろう。この新大阪駅の醜悪な景観こそ、大阪の衰退を物語っているものもあるまい。そして、この玄関口が醜悪であるからこそ、梅田ヤードやら天王寺などで再開発を一生懸命やっても、今ひとつ、地域としては投資を呼び込むことが難しいことに繋がっているのではないかとさえ思われる。オリンピックに関しても、個人的には大阪はまさに堂々とやれるだけの都市であると思っている。しかしながら、大惨敗をした。その要因としては、都市力に比して、あまりにも世界的にイメージが悪いというか、いいイメージを形成させることが難しいからではないかと思われる。大阪という都市は素晴らしいポテンシャルを有しているし、世界でもオリジナリティのあるオーセンティシティを有している数少ない都市であると思う。しかし、そのよさが伝わらないし、発信できていない。それは、機能すればいいやん的に本質的には玄関である新幹線駅の都市景観を蔑ろにしてきたことが、一つの大きな要因であると思われるのである。

それじゃあ、何をしろと言うのか、と問い詰められそうであるが、私が大阪市からアイデアを出せ、と言われたら、とりあえず御堂筋線と高速道路が通っている回廊を、より人間的な空間へとつくり直すことを提案する。心斎橋周辺の御堂筋の雰囲気を新大阪駅でもつくるのである。そのためには、高速道路を地下に潜らせることが必要である。ボストンのビッグ・ディッグのようなプロジェクトを遂行するのである。地下鉄は地下化させる必要はないであろう。そして、そこで新たに創出された空間は、旭川の買物公園のような歩行者専用の通路にすればいい。自動車がどうしても走らせたいというのであれば、バルセロナのランブラスのようにちょっと端っこに走らせればいい。まあ、走らせないのが一番いいが。とりあえず、それだけでは抜本的な解決にはならないが、効果は大きいであろう。お金がない?無駄な道路を山奥にトンネル掘ってつくっているよりかは、はるかに経済効果があるプロジェクトである。どうせ、お金を無駄にするのであれば、経済効果があるこのようなプロジェクトに投資すべきである。大阪の再生には、この新大阪駅の再整備が不可欠であると私は思う。

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