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「TOEFL(トーフル)」を大学の入学試験を受ける基準とするのは世紀の愚策 [英語関連]

自民党の教育再生実行本部(遠藤利明本部長)が国内全ての大学の入学試験を受ける基準として、英語運用能力テスト「TOEFL(トーフル)」を活用する方針を固めた。月内にまとめる第1次報告に明記し、夏の参院選の政権公約に盛り込むそうだ(http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/education/?1363825269参照)。

全ての国公立大学と私立大学が対象となり、大学の学部ごとに点数基準を定め、クリアした者に受験を認めるという制度らしい。たとえば、東京大学文科一類(主に法学部に進学)の受験資格は「TOEFL○○○点以上を獲得した者」と定め、公表する。点数基準は各大学に自由に定めさせる。

これは、日本の英語教育史上、最大の愚策となるであろう。日本の教育史上、ゆとり教育と並ぶ、愚策で、この本部長を務めている遠藤利明というのは英語教育をまったく分かっていない大愚か者であると思われる。まあ、これも自民党を選挙で選んだことのバックラッシュであるかもしれないが、それにしても随分と出鱈目なことを言い出したものだ。

さて、どこが問題なのか。まず、TOEFLは大学受験の基準を図るにはあまりにも難しすぎる。いや、東京大学を受験する学生ならある程度、差別化は図れるかもしれない。東京外語大学でも可能であるかもしれない。しかし、失礼ながら早稲田大学や慶應大学に合格するレベルでも、ほとんどTOEFLの試験では点数が取れず、差別化を図ることは不可能だ。私は自分の大学で、協定留学の学内合格生にTOEFLの点数をあげる指導をしているし、また自分も大学院に留学するうえでTOEFLの試験を勉強していたので、ある程度、TOEFLの内容を知っている。自分のことを言うのは憚れるが、私は東京大学の試験に通っている(一度失敗しているが)。理1であるが、数学で失敗したので、英語の試験ではそこそこの点数を取ったと思われる。しかし、それでも留学をするために初めて受けたTOEFLの点数は散々であった。そこから、相当、試験勉強をしてどうにか合格圏に到達したが、TOEFLが相当、難しいテストであることはよく知っている。これで点差をつけるだけでも、相当の英語のレベルである。ちょっと、ここは説明しても分かりにくいだろうから、例えば、ユーチューブにある次のリスニングの試験を試しに聞いてみて欲しい。

http://www.youtube.com/watch?v=9uZauzH234A

ここでは、そもそもキュービズムという日本語でも難解な内容の議論を英語でしているだけでなく、ピカソぐらいは分かるかもしれないが、ジョルジュ・ブラック、モンパルナス、セザンヌなどの固有名詞が出てくる。また、アバン・ギャルド、コラージュ、ボヘミアンといった日本語でも難しい言葉が、英語の発音で出てくる。そもそも、英語というレベルではなく、ある程度の美術史の知識がなければほとんど内容は分からない。これは大学院を受けるぐらいの教養があればまだフォローできるが、英語ができたとしても一般の高校生じゃあ理解できないであろう。これは、アメリカ人でも言葉はある程度、フォローできても理解することが難しいような内容であると思われる。アメリカの一般的な高校生がアバン・ギャルドとかをスムーズに理解できるとは思えない。遠藤利明も一度、TOEFLの試験を受けて、是非ともその結果を公表してもらいたいものだ。それぐらいのことも出来ないで、国民にこのような愚策を押しつけないでもらいたい。

もう一点の問題点は、TOEFLというのはETSという公的でも何でもない民間企業がつくっているテストであり、しかも高額であることだ。確かにこのテストを留学生の選考に用いているのは確かだが、なんで、民間企業がつくっているテストを英語のテスト代わりにするのであろうか。そもそも、TOEFLは外国人が留学をするために必要とする英語を試すものであって、日本人の英語教育の成果を図るものではない。まったく尺度としては不適切で、重さを測るのに物差しを使うようなものだ。この遠藤某はもしかしたらETSから相当、裏金でももらっているのだろうかと疑ってしまう。

とはいえ、この愚策をヤフーのアンケート調査では、反対者より賛成者の方が多かったので、遠藤某だけでなく、日本人全体も狂った方向に行っているのであろう。まあ、狂っている方向に進んでいるので、こういう愚策を政策化する自民党に投票するのだろうけれども。

私は、今、このブログをケンタッキー大学での留学プログラムの担当者の打ち合わせとの会食後に書いている。ケンタッキー大学の留学プログラム担当者は、私の大学の日本語プログラムを充実させて欲しいと強く訴えていた。世界は英語という単一言語に集約されるというよりかは、多言語化の時代へとシフトしていく方向性にあると思う。日本人はなぜか英語コンプレックスが強いので、英語が出来ればいいと考えがちであるが、決して、そういう方向性に向いていないと思う。私が日本の学生に対して、問題だなと思うのは、英語が出来ないということではなく、例えば、日本の歴史や地理を知らないことである。ケンタッキー大学で「日本の地理」を担当している先生が、日本の留学生が受講したいと言ってきたので、なんでアメリカに留学してまで「日本の地理」の講義を受けたがるのか訝しがったが、これらの留学生が日本の地理に関してほとんど知らないので受講を許したという話をした。私も留学生対象の講義を持っており、日本人の学生も受講を許しているが、日本の歴史に関しては、多くの留学生に比べても日本人の学生は知識を有していない。こういうことこそ、ヘンテコな英語を少しぐらいしゃべれたりするよりも、遙かに恥ずかしいことで、国際的ではないと私は思ったりする。

そもそも英語偏重には強い抵抗を覚える私ではあるが、さらに、TOEFLという民間企業のテストを国立・私立大学の受験基準にすること、加えて、このテストはほとんどの大学では差別化を図ることも不可能なほど難しいことを考えると、まあ、あまりにも馬鹿らしくて、本当、言葉を失ってしまう。私としては、所属学部の基準として0点を指定したいぐらいだ。というか、なんでETSにうちの大学の受験生が金を払わなければならないのだろうか。まったくもっておかしい。まあ、しかし、逆にTOEFLの受験塾でも始めてみるか。私的には結構、いいアルバイトになるかもしれない。怒ってばかりいるより、姑息に、こちら側についてみた方がいいかもしれないな、と考えてストレスを減らしてみよう。



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