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学芸大学駅の商店街の集積が素晴らしいのは、自動車でアクセスできないからだ [都市デザイン]

学芸大学駅のピザ屋に夕食に行く。学芸大学駅は中一から高一まで3年間ほど暮らしていた。久しぶりに商店街をぶらぶらする。店は結構、変わったりしているが、それでもマッターホルンやオノ・レコードなど35年前にもあった店が残っていて、なんか懐かしく思う。そして、当時と比べても商業集積はむしろ高まったかのように質量とも充実した店舗が揃っている。私が現在、住んでいる隣駅の都立大学周辺とは偉い違いである。この違いはどうして生じているのだろうか。ちなみに、学芸大学駅と都立大学駅だと一日当たり乗降人員では7万と4万6千と結構、差がある。とはいえ、学芸大学の商業集積は都立大学の2倍どころではない。印象論ではあるが4倍くらいは差があるのではないかと思ってしまうぐらいの充実度である。

なぜ、こんなに違いがあるのだろうか。幾つかの違いがあるが、最も大きな違いは、商店街に自動車が入れるような道路がまったくないからであろう。バスが通れる道路は駅の北側にあるが、その道路も幅が狭いし、駅周辺にはタクシーが入れる道路はないに等しい。その結果、商店街内の道路を歩行者はまったく安心して、歩くことができる。ウィンドーショッピングなどもしたい放題である。これは、例えば、私が以前住んでいた永福町の商店街ではほとんど出来ないことである。まあ、こういうことを書くと、いや、そんなことは言っても、井の頭通り沿いの歩道は自動車から隔離されているからウィンドーショッピングぐらいできるだろうと反論する人もいるかもしれない。しかし、残念ながら、そのような大通り沿いの歩道は自転車が多く走っているので、安心して歩けないのである。学芸大学の道は、自動車が走るには狭いが、自転車が走っても気にならないほどの幅はある。要するに自動車道路に狭く、歩道には広い、という絶妙の道路幅なのである。その結果、買い物をするのに絶妙な空間スケールがつくりだされているのである。そして、これは実は都内の他の繁盛している商店街に共通している点なのである。ぱっと思いつくのが下北沢であり、東武東上線であれば大山、西武池袋線であれば東長崎、京王線であれば下高井戸などだ。

このようなことはちょっと考えれば当たり前であり、例えば、東京ディズニーランド内のメイン・ストリートに自動車を走らせたら、あの快適なレジャー空間が台無しになることぐらいすぐ理解できると思うのだが、通常の街だと、自動車を入れないと廃れるといった議論がすぐ出てくる。これは、例えばドイツなどのヨーロッパの都市が、中心市街地の商業地区を保全するために、その内部から自動車を排除し、中心市街地の周縁部に駐車場を設置していることなどから(いい事例としてはフライブルクが挙げられる)、私は何も新しいことを指摘している訳ではなく、しかも日本の都市でも、政策的ではないかもしれないが、結果論として語っているのに、相変わらず、道路局を頂点とした道路至上主義が罷り通り、結果、人に優しい都市空間は喪失し、多くの小売り事業者は店をたたむことになる。それでも、行政や政治家は道路が大切であると考えているのは、下北沢をぶった切る道路整備を依然、邁進させようとしている東京都の姿勢をみれば明らかである。人より道路、地域経済より土木経済優先なのである。

民主党はそれでも自民党時代に比べれば、公共事業費を3割以上は削減することができた。自民党は再び、道路をはじめとした公共事業を増やすことになるだろうから、本当、都市空間がより貧相になっていくのかと思うと、本当、残念だ。ということを、学芸大学の小ぶりだが、自前の竈で焼く美味しいピザを頬張りながら考えて、切なくなる。


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