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ニルヴァーナというかカート・コベーンの偉大さをシアトルにて知る [ロック音楽]

 シアトル・センターにEMP博物館という名前のポピュラー音楽、サイエンス・フィクションを展示している博物館がある。一目でフランク・ゲーリーが設計したとわかるうねうねとした建築である。しかし、ビルバオのグッゲンハイムやロスのウォルト・ディズニー・コンサート・ホール、プラハのダンシング・ハウス、デュッセルドルフのツォルホフのような造形美はあまり感じられず、なんかナメクジのような形状であまり感心しない。

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 さて、このEMP博物館を学会の合間に訪れる。ちょうどニルヴァーナの企画展をやっていた。私はニルヴァーナがデビューをした1989年には既に会社員であり、仕事に追われていたので同時代に生きているのだが、ほとんど知らずに過ごした。1993年にアメリカの大学院に行き、ちょっとまた音楽に関心を持ちつつあった時に、カート・コバーンは自殺する。1994年4月のことだ。ということで、私はこのニルヴァーナの影響をほとんど受けていない。
 そのようなこともあり、この企画展はいろいろと興味深く、刺激的でさえあった。シアトルにおいて、1980年代後半、なぜグランジ・ミュージックが広まったのか。それは、まさに創造都市的な機能がこの都市、およぶ周辺地域において働いていたからだということが分かった。
 そして、カート・コバーンが高校時代に描いた絵なども展示されていたが、それらの絵からは、彼に類い希なる芸術的才能が潜んでいることが見て取れた。アバーディーンという寒村ともいえるような町において、このような天才が生まれたこと、そして、その天才の華を開かせるような土壌が当時のシアトル周辺地域にはあったのである。そして、その天才は周辺の才能をも刺激し、パール・ジャム、アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデンなどを輩出することになる。また、ニルヴァーナのドラマーであったデイブ・グロールはフー・ファイターズを結成し、現在も最前線にいる。

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(カート・コバーンの高校時代の絵)

 まあ、そのようなことが理解できて大変、勉強になったのだが、こうやって社会現象はともかくとして、人生が編集されてしまうことは結構、乱暴で恐ろしいことであるなと思ったりもする。中学の友人の兄が自殺した時や、同僚の教員が事故死した時、彼らの親が彼らの人生を編集したアルバムを作成し、知人に配布した時のような違和感を覚えてしまったりもする。ちょっと、カート・コバーンに同情したりもするが、それがスターの宿命なのかもしれない。

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