甲斐駒ヶ岳の登山に挑戦して挫折する [日本百名山]
甲斐駒ヶ岳を登山しようと考え、ゼミの卒業生とチャレンジする。前日に伊那側の仙流荘という宿に泊まり、翌朝4時30分に起床。5時20分に朝食を取りに行く。5時20分から朝食ということだったが、我々が食堂に行った時には、もう大方の客は食事を済ませた後であった。さて、朝食はとてもしっかりとしており、がっちりと栄養を取ることができた。この仙流荘から北沢峠まではマイカー規制があり、バスで行くことになる。始発バスの時刻は6時であったが、もう5時30分頃からは行列ができており、6時前に着いた時には、バスはすべて北沢峠に向かったところであり20分ほど待たされた。私はてっきり1台のバスに乗ってとぼとぼと行くようなイメージを抱いていたのだが、実態は10台くらいのバスがピストンで人々を運んでいたのであった。大体、一台のバスには35名くらいが乗車できるので、350名くらいを一挙に運んでいるのである。料金は片道1100円+荷物料でプラス300円。
(朝の5時10分頃にはもう既にバスに並ぶ列ができている。バスも6時ではなく、その前からもう乗客を乗せて出発している)
私は、南アルプスは初めてである。南アルプスには中学時代から憧れており、いつか広河原に行きたいと思っていた。行程まで考えて、資料をスクラップまでしていたのである。そのときの大自然に憧れるような純粋な気持ちは、その後、薄汚れ、南アルプスのことなどもどこかに行ってしまったのだが、心荒むサラリーマン生活を辞め、なんか心に落ち着きが戻ってきたのであろうか。再び南アルプスへの気持ちが高ぶり、日本の地理を知ろうという百名山踏破プロジェクトの第二弾として、甲斐駒ヶ岳を選んだのである。
(甲斐駒ヶ岳)
バスに揺られ40分くらいで北沢峠に着く。私は日本はともかくとして、ロッキー山脈はジャスパーからバンフ、ヨーホー、ウォータートン、グレイシャー、イエローストーン、グランド・テトン、コロラド・ロッキーと訪れ、シエラ・ネヴァダもヨセミテ、セコイア、キングス・キャニオン、カスケード山脈もクレイター・レイク、オリンピックなどを訪れたことがあるし、スイス・アルプスやアンデス山脈も訪問したことがあり、それなりに山岳美には慣れていたつもりであったのだが、この南アルプスも相当の絶景であることを知り、驚いた。特にその絶壁のような急斜面はなかなか凄まじいものがある。
北沢峠からは双児山経由のルートを取る。仙水峠経由の方が、どうも楽そうなのだが、少しでも最短距離を取りたい急いた気持ちが双児山経由のルートを私に取らせることになる。これが後に致命的なミスとなるのは、このときは知るよしもない。さて、序盤、このルートは森林地帯を抜ける。なかなか快適である。しかし、双児山に登った後ぐらいから、斜度が急になっていく。特に森林限界を抜けた後からは、ほとんど階段のような状態である。ただ天候に恵まれたこともあり、景色は素晴らしい。仙丈ヶ岳や北岳、間の岳、塩見岳といった南アルプスの秀峰はもちろんのこと、御岳や穂高、槍ヶ岳までも見渡せる。富士山も雲海から顔を覗かせる。素晴らしい絶景である。と感動しつつも、この連続した階段を登っていたら、大腿筋が痙攣してきた。あっと思った時には、既に遅く、大腿筋が攣ってしまった。しばらくその痛みに苦しめられた後、気を取り直してまた歩き始めると、逆の足の大腿筋まで攣ってしまった。ここで、もう甲斐駒ヶ岳への登山は断念して、ゼミの卒業生だけを単独で行かせて、自分はゆっくりと駒津峰までたどり着く。ここの標高は2750メートル。ここから甲斐駒ヶ岳の山頂まではコース時間だと1時間30分であるが、すさまじい岩場の連続で、それを見て完全に諦める。
(富士山)
(仙丈ヶ岳)
(北岳)
(御岳までもが展望できた)
(駒津峰までの急坂。この坂で大腿筋を攣る)
(この凄まじい登山路を見て、諦める)
駒津峰からちょっと行ったところで卒業生を待っている。彼は2時間ちょっとで登頂して戻ってきた。彼と合流すると、そこで昼食を取る。お湯を沸かし、インスタント・ラーメンをつくって食べる。持ってきたスイート・コーンを入れ、ちょっと贅沢さを演出する。さて、食後にはドリップ式のコーヒーも飲み、腹も一杯になったところで帰路に着く。終バスは16時なので、それまでに北沢峠まで戻らなくてはならない。帰路は仙水峠経由にする。これは、双児山経由のルートだと上り下りがあるので、それを避けたいと考えたからである。仙水峠は一貫して下りであり、そういう点では助かったが、こちらも結構、斜度は急であった。ということで、どちらのルートを選択したとしても、なかなか、甲斐駒ヶ岳は難しいことが理解できた。ちょっと鍛えずにいきなり挑戦するのは無謀であったのかもしれないと反省する。行きはコースタイムをオーバーしたが、帰りはほぼコースタイムで戻ることができた。15時30分には北沢峠に着いたのだが、ここでも既に長蛇の列ができていた。そして、16時前に既にバスは発車し始めていた。南アルプスではバスや朝食は定刻より早く来ることで多いにメリットを享受できることを知る。
(インスタント・ラーメンをつくる)
甲斐駒ヶ岳に登頂できなかったのは残念であるが、素晴らしい南アルプスの山々を展望できたことは感動的であった。ようやく中学時代の夢が叶った気分で嬉しい。しかし、いつか、甲斐駒ヶ岳に登頂したいものである。登山の難しさを知ると同時に、百名山登頂プロジェクトに早くも黄色信号が灯ることになった、今回の甲斐駒ヶ岳行きであった。
(朝の5時10分頃にはもう既にバスに並ぶ列ができている。バスも6時ではなく、その前からもう乗客を乗せて出発している)
私は、南アルプスは初めてである。南アルプスには中学時代から憧れており、いつか広河原に行きたいと思っていた。行程まで考えて、資料をスクラップまでしていたのである。そのときの大自然に憧れるような純粋な気持ちは、その後、薄汚れ、南アルプスのことなどもどこかに行ってしまったのだが、心荒むサラリーマン生活を辞め、なんか心に落ち着きが戻ってきたのであろうか。再び南アルプスへの気持ちが高ぶり、日本の地理を知ろうという百名山踏破プロジェクトの第二弾として、甲斐駒ヶ岳を選んだのである。
(甲斐駒ヶ岳)
バスに揺られ40分くらいで北沢峠に着く。私は日本はともかくとして、ロッキー山脈はジャスパーからバンフ、ヨーホー、ウォータートン、グレイシャー、イエローストーン、グランド・テトン、コロラド・ロッキーと訪れ、シエラ・ネヴァダもヨセミテ、セコイア、キングス・キャニオン、カスケード山脈もクレイター・レイク、オリンピックなどを訪れたことがあるし、スイス・アルプスやアンデス山脈も訪問したことがあり、それなりに山岳美には慣れていたつもりであったのだが、この南アルプスも相当の絶景であることを知り、驚いた。特にその絶壁のような急斜面はなかなか凄まじいものがある。
北沢峠からは双児山経由のルートを取る。仙水峠経由の方が、どうも楽そうなのだが、少しでも最短距離を取りたい急いた気持ちが双児山経由のルートを私に取らせることになる。これが後に致命的なミスとなるのは、このときは知るよしもない。さて、序盤、このルートは森林地帯を抜ける。なかなか快適である。しかし、双児山に登った後ぐらいから、斜度が急になっていく。特に森林限界を抜けた後からは、ほとんど階段のような状態である。ただ天候に恵まれたこともあり、景色は素晴らしい。仙丈ヶ岳や北岳、間の岳、塩見岳といった南アルプスの秀峰はもちろんのこと、御岳や穂高、槍ヶ岳までも見渡せる。富士山も雲海から顔を覗かせる。素晴らしい絶景である。と感動しつつも、この連続した階段を登っていたら、大腿筋が痙攣してきた。あっと思った時には、既に遅く、大腿筋が攣ってしまった。しばらくその痛みに苦しめられた後、気を取り直してまた歩き始めると、逆の足の大腿筋まで攣ってしまった。ここで、もう甲斐駒ヶ岳への登山は断念して、ゼミの卒業生だけを単独で行かせて、自分はゆっくりと駒津峰までたどり着く。ここの標高は2750メートル。ここから甲斐駒ヶ岳の山頂まではコース時間だと1時間30分であるが、すさまじい岩場の連続で、それを見て完全に諦める。
(富士山)
(仙丈ヶ岳)
(北岳)
(御岳までもが展望できた)
(駒津峰までの急坂。この坂で大腿筋を攣る)
(この凄まじい登山路を見て、諦める)
駒津峰からちょっと行ったところで卒業生を待っている。彼は2時間ちょっとで登頂して戻ってきた。彼と合流すると、そこで昼食を取る。お湯を沸かし、インスタント・ラーメンをつくって食べる。持ってきたスイート・コーンを入れ、ちょっと贅沢さを演出する。さて、食後にはドリップ式のコーヒーも飲み、腹も一杯になったところで帰路に着く。終バスは16時なので、それまでに北沢峠まで戻らなくてはならない。帰路は仙水峠経由にする。これは、双児山経由のルートだと上り下りがあるので、それを避けたいと考えたからである。仙水峠は一貫して下りであり、そういう点では助かったが、こちらも結構、斜度は急であった。ということで、どちらのルートを選択したとしても、なかなか、甲斐駒ヶ岳は難しいことが理解できた。ちょっと鍛えずにいきなり挑戦するのは無謀であったのかもしれないと反省する。行きはコースタイムをオーバーしたが、帰りはほぼコースタイムで戻ることができた。15時30分には北沢峠に着いたのだが、ここでも既に長蛇の列ができていた。そして、16時前に既にバスは発車し始めていた。南アルプスではバスや朝食は定刻より早く来ることで多いにメリットを享受できることを知る。
(インスタント・ラーメンをつくる)
甲斐駒ヶ岳に登頂できなかったのは残念であるが、素晴らしい南アルプスの山々を展望できたことは感動的であった。ようやく中学時代の夢が叶った気分で嬉しい。しかし、いつか、甲斐駒ヶ岳に登頂したいものである。登山の難しさを知ると同時に、百名山登頂プロジェクトに早くも黄色信号が灯ることになった、今回の甲斐駒ヶ岳行きであった。