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東電社員のブログを読み、東電という会社の問題を考察する [原発問題]

東電社員がブログで、今回の福島第一原発の事件のことで思いの丈をぶちまけている。
http://megalodon.jp/2011-0326-0112-35/ameblo.jp/morizo-wr83/entry-10835311318.html
これが結構、面白い内容で、おそらく東電社員の本音が表れていると思うので、ちょっと考察をしてみたい。「 」がブログで書かれた文章である。

「このブログをご覧になったことがある方は、ご存知かと思いますが、私は東京電力の社員です。このブログが炎上すること覚悟の上で、伝えたいこと、伝えるべきことを載せたいと思います。」

このようにブログが炎上することを覚悟、というのはプライドの高さを示していると思う。東電社員としてのプライドが、現状の東電批判を耐え難くしているのである。

「東京電力の原子力発電所は新潟県と福島県の2箇所にあり、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所は中越沖地震で被災し、その教訓を生かし、福島県の福島第一・第二原子力発電所の耐震を強化をしておりましたが、今回の東北地方太平洋沖地震は、耐震強化を上回る大規模地震だったのです。決して、甘く想定していたわけではありません。会社として、地震に強い発電所つくりを行ってきました。ただただ、10mの津波に建物は耐えたものの建物の内部で大きな打撃を受けてしまったのです。」

江戸時代の記録をみれば、この程度の津波が太平洋岸で来たことは以前にもあります。1000年に1度といってあたかも前代未聞というのは、しっかりと歴史を調べていないから言えることだと指摘をしている学者もいます。まあ、この方は東電や原子力教の教えを鵜呑みに捉えただけかもしれませんが、この人災の事件の原因が天災であると主張しているのは反省が足りないのでしょうね。

「すべて、結果論で伝えられることが多いですが、では、なぜ、爆発してしまったのかといった経緯が伝わらないのが、社員として非常に悔しい気持ちでいっぱいです。
 日本とういう国は、唯一の被爆国です。ですので、”げんぱつ”という響きに大きな不安感をいだかれることがしばしば。原子力爆弾、”げんばく”と耳に入る音も似ており、新聞にも、”原発”とかかれ、”原爆”と同じような印象をもたれます。
 しかし、日本には石油や石炭といった電気を作るうえで必要な化石燃料を手に入れることができません。また、石油や石炭もいつかはなくなってしまいます。(ちなみに、このままでは、石油は約49年、石炭は約119年で発掘できなくなると言われております。)
また、発電時にCO2排出を削減した環境に優しい発電に取り組まなければならないなかで、原子力発電は大きな力となり、暮らしを守るためには必要な発電です。」

なぜ、爆発したのかといった経緯が伝わらなくて悔しい、と言いつつ、その経緯をまったく説明せずに、途中から原子力が必要というまったく別の論旨を展開しています。論理的ではないですね。

「原子力発電による放射線の排出は、年間0.01ミリシーベルト。年間に人間が自然界から浴びる放射線は、2.4ミリシーベルト。胃のX線で浴びる放射線は、0.6ミリシーベルト。
(1ミリシーベルトの1000分の1が1マイクロシーベルト)
 政府の発表する排出された放射線の量を○○マイクロシーベルトと表現されるのには、はなはだ疑問も感じます。一般的な表記は、ミリシーベルト。マイクロシーベルトで表記することにより、1000単位の表現となり、より大きな数値となってしまい、国民の不安をあおるだけではないかと感じます。」

年間での単位はミリシーベルトでいいかもしれませんが、現在は時間単位での放射量が重要です。明らかにマイクロシーベルトで危険性を語るべきもので、時間単位でミリシーベルトという話が出るというのは、当然、不安を覚えるような危険な事態です。こういうことを書くのであれば、これから東京電力の社員は皆、福島産の農産物と魚介類を食べるぐらいのことをしてもらいたいと個人的には思います。少なくとも社食は福島産のものにしてもらいたい。福島産のもので市場で売れないものを全部、東電が購入して社食で食べるようにするべきでしょう。

「今まで、ダラダラと書きましたが、原子力発電および放射線に対する確かな知識がないままに報道されている現実には本当に悔しい気持ちでいっぱいです。」

まあ、これだけ福島の人や日本だけでなく世界中に迷惑をかけていても「悔しい気持ち」という個人的な感情がコントロールできないんですね。

「福島県に対する風評被害をもたらしているのは、政府やマスコミではないでしょうか?」

いや、本当にそう思うのであれば、福島県産の農産物と魚介類だけを食べて暮らして欲しい。ついでに福島第一原発のそばに本社を移して、そこで暮らして欲しい。

「福島県民のみなさん、今回の災害で起きた事故は事実ですし、謝っても許されることではないことも分かってます。でも、ただ、我々社員は、被災された方や不安を抱え生活されている方が早く普段の生活に戻れるように、なる暇もなく戦っております。東京電力社員全員が必死に死ぬ気で対応しております。それまで、申し訳ありませんが、一緒に戦ってください。我々社員が必死に死ぬ気で対応するのは当たり前かもしれませんが、できることからできる限りのことをやります。やらなくてはならないのです。一生、十字架を背負って生きていくことになった東京電力社員を信じて待っててください。お願いします。」

十字架を背負うことになったのは同情するけど、一緒に戦うとお願いするのはちょっと被害者の心情を考えなさすぎるのではないでしょうか。だって、東京電力を信じていたから、今回の福島第一原発の事件が起きたのでしょう。私はむしろこのブログを読んで、やはり東京電力は信じられないな、脱原発を模索しなくてはならないな、と思わされましたよ。

「計画停電によりご迷惑とご不自由をおかけしておりますが、計画停電は、供給量よりも需給量が上回っているので、計画的に停電をさせていただいているのです。震災により、いくつかの発電所が停止してしまい、みなさんに電気を供給することができなくなってしまったのです。計画停電は、被災された方に電気を送るためではないことをご理解ください。
 また、今まで、何不自由なく電気を使えていたのは、福島県のみなさんがあってこそなのです。福島県には、多くの方が不安を抱え、避難所で不自由な生活をされております。比べることはできませんが、福島県で被災に合われた方よりはるかに贅沢な生活を遅れていることを今一度再認識してください。私たち東京電力を非難することはかまいません。しかし、不自由だとか自分たちが被害者だといった考えはやめてください。電気を使え、うちに帰れば家族がいる生活に幸せを感じてください。」

この部分はちょっと驚いた。いやはや、電力の地域独占という考え方も改めないといけないなとも思わされましたね。東京電力から電力を買わなくてもいいように、発電をする方法を考えないとと強く思わされましたよ。こういう意識を持っているような会社が地域独占をするような電力事業法は改正しないといけないですね。もっとエネルギー系は競争するような環境を整備しなくてはならないし、個人でも法人でも、どんどんと発電をできるようにするべきでしょう。

「今、日本が一つにならなくてはならないのです。被災にあわれた方が、一日でも早く普段の生活に戻れるように一人ひとりができることをやっていきましょう。私も社員として、一人の人間としてやれることからやります。」

いや、あなたの会社が原因で酷い目にあっているのだけど。私は東京電力とは一つになりたくないね。電力の地域独占には圧倒的に反対で、是非、ドイツのようにエネルギー事業の競争を活発化させてもらいたい。そしたら、私は例え東電の2倍の値段でも東電じゃないところから電気を購入するね。自分達が電気事業を独占するのが当たり前だと思ったら大間違いだよ。

「最後に、私たち東京電力社員は、、震災以降、家族の安否や自分の健康関係なく、復旧に向けて寝る暇を惜しんで対応しております。色々とご不満やご意見もあるかと思いますが、ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。」

このような意識を東京電力の社員は共有しているのであろうか?このような会社が電力の地域独占をすることに問題があると思うのは、私だけではないと思う。そして、原子力のような国内だけでなく国際的にも問題を起こすことを、一民間企業に任せることはできない。実際、事故が起きたらその責任を取るような財力も有していないのである。TEPCOという名前はもう世界的にも知られている。それまではエリートであったのだろうが、今では違うのだ。上目視線で世間を見ることはできなくなっていることを自覚していないところが悔しい。原発だけでなく、エネルギー、電力の供給をどうするか。電力事業法の大幅な改正、特に東電が今までのような殿様商売をのうのうとできなくさせるような市場環境を整備することが必要となると思うのである。
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