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そろそろ原子力発電を推進する政策を再検討したらどうか [サステイナブルな問題]

 インターネットで以下のような記事が掲載された。
「福島県警や東京電力によると、12日午後3時半ごろ、福島第1原発1号機の原子炉建屋の天井が崩落し、東電は午後4時17分、発電所の敷地境界で1時間当たり1015マイクロシーベルトの放射線を確認した。これは、一般人が1年間で浴びられる放射線量限度(1000マイクロシーベルト)を1時間で浴びる量に相当する。」
 しかし、実態は天井が崩落というよりかは、爆発という方が適切な状況にある。BBCのインターネット・ニュースでは「日本の原子力発電所における巨大な爆発」という見出しで、以下の動画を流している。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-12720219
 まさに、これは天井が崩落というよりかは、爆発である。さらに、今後、雨が降ったりしたら相当、不味い状況になるだろう。
 さて、このような事態は想定されるようなことであったが、電力会社はあり得ないことが起きた、と言っている。しかし、あり得ないことは起きないのであって、起きたということはあり得たことであり、あり得ないと想定したことが間違いであったのだ。このように原子力発電所はその安全性にかねてから疑義がもたれていたにも関わらず、いい加減な想定で推し進められてきたのである。それは、まさに原子力教ともいうべき宗教的な盲目なる信仰のもとに突き進んできたのである。したがって、原子力の安全性に疑問を持つものは、彼らから異教徒に対するがごときの敵愾心を持たれたりしたのである。私は以前、ある地域活性化を検討する委員会で、東北電力の委員が「フライブルクのような反原子力の町を地域活性化の成功事例として取り上げることはけしからん」と発言したことを忘れることはできない。また、あたかも地震を軽視することで原子力発電所の安全性がアピールできるのかと思ったのか、浜岡原発などは活断層の上に建てるような神をも冒涜するようなことまでしている。
 そういうことを考えると、まさに今回のことは天罰ともいえるのだが、その被害に合うのは住民達である。これは馬鹿な政治家や政商によって起こされた戦争の被害に合うのが国民であるというのと似たような構図である。もちろん、このような原子力発電所の建設に賛成した地元住民も少なからずはいたであろう。原子力発電所が建設されることで、地元は補助金等で大いに潤うからである。しかし、このような事態を想定して反対した住民達もいた筈である。それを思うと、本当に原子力発電所が地元にもたらす弊害というのは大きなものがあるなと思う。特に、このような事件、そしてもしかしたら、今後、さらに被害が拡大する可能性があるかと思うと、原子力発電所のあり方を考え直すべきであると強く思うのである。こういう風に書いている私自身、最悪な事態の場合においては被害者になる可能性があるのだ。本当に、そろそろ脱原子力に舵を切るべきではないだろうか。じゃなければ、地震をなくす方法を発明して欲しい。そして、原子力を推進するという手順を取るべきであろう。

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