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日本語の敬語の難しさ(そして、ベルリッツの広告のおかしさ) [英語関連]

ベルリッツの広告「部長の山本はまもなく戻りますので、そこに座ってろ。あなたの英語は、こんなふうに場違いに聞こえているかもしれません」がいかに意味をなさないかということを1月7日のブログで書いた。そこで、思い出したのがアルゼンチンで仕事をしていた時、雇った日系2世のアルゼンチン人の日本語が、まさにベルリッツの広告のようであったことである。

彼はブエノスアイレスの郊外で生まれ育ち、その後、いわゆる出稼ぎで日本に3年くらい働きに来た。そこで、いわゆる仲間うちで話すような日本語をマスターするのだが、敬語はマスターできなかったようである。通常、外国人が日本語を学ぶとき、丁寧な日本語を学ぶ。ベルリッツの広告のようなヘンテコな日本語を外国人が話して、日本人の気分を害さないための配慮ともいえる。しかし、このアルゼンチン人はいきなり日本の仕事場で、日本語を鍛えられたために、そのような丁寧な日本語ではなく、実際の街中でしゃべるような日本語をマスターしてしまった。したがって、まったく悪気がないのだが「いいよ」とか「それでさあ」とか、そういう日本語をしゃべる。これには確かに違和感を覚えて、当初は随分失礼な人なのではないかと思ったりしたのだが、3日間ぐらい一緒にいて、彼が別にそういう悪意がないこと、そして彼の日本語に問題があったことを理解した。

さて、彼がこのような日本語をしゃべってしまったのは、それを母国語であるスペイン語で違いを解釈することができないからであろう。スペイン語はあまりよく分からないのでいい加減なことは言えないが、英語でも、丁寧さはイントネーションや仮定法ぐらいでしか表現しにくく、日本語のこの敬語の複雑さを直感で理解することは不可能かと思われるのである。これは、ドイツ語やスペイン語の名詞に性があることを日本人は日本語的にはまったく理解できないが、努めてその習得をマスターしなくてはならないように、日本語の敬語の習得も難しい面があるということである。ということで、この日系2世のアルゼンチン人のことを考えると、改めてベルリッツの広告がおかしいことが理解できる。

タグ:ベルリッツ
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