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吉本ばなな『もしもし下北沢』を読んで、下北沢のよさを吉本ばななが理解していないことを理解した [都市デザイン]

吉本ばななの『もしもし下北沢』を読む。下北沢のよさを描写しているのだがどうにも説得力がなく、下北沢がよいと理解しているのかさえ疑問に思わせる。ちょうど、私が今、住んでいる自由が丘と下北沢を作品の中で頻繁に比較しているのだが、その比較の視点が曖昧すぎて、どこをもってして下北沢のよさを伝えようとしているのかが不明である。しかも、主人公が住んでいるところも、働いている店も茶沢通りにあるのだが、私的には茶沢通りは下北沢という都市空間でもっとも魅力がなく、ある意味で、もっとも自由が丘と差別化がしにくい場所である。というか、茶沢通りであれば、自由が丘の方がスポット的なら魅力的な空間はある。下北沢が魅力を発するのは、商業的空間が住宅地へと現在進行形で侵食しているマージナルな場所であり、そこでこそ、下北沢が新たな価値を生じさせるような魅力に満ちているのである。そして、しかも、そこがアンチ自動車のヒューマン・スケールであるところが裏原宿にも通じる空間的な面白さも産み出している。また、別な視点からの魅力としては、サブカルチャーと居酒屋とエスニックさとヒッピー思想をミキサーに入れて、ごちゃ混ぜにさせたようなところであり、それは本多劇場からすずなりにかけての一帯や南口商店街の東側に集積されている。しかし、このごちゃ混ぜ感も茶沢通りに近づくにつれて薄まっていく。やたらに、松田優作とかレディ・ジェーンとか、曽我部恵一とか下北沢のキーワードを書けば、それでその街のユニークさが表せる訳ではないだろう。あと、料理の描写がやたら多いが、料理に関していえば下北沢は決して特別に優れている訳ではないと思われる。外食という消費者視点で捉えた場合、下北沢はそれほど魅力がない。というか、料理だけに関していえば自由が丘界隈の方が優れているのではないだろうか(まあ、美味いカレー屋があるといえばあるが、居酒屋や和食で感動的なところは寡聞にして知らない)。自由が丘と下北沢の徹底的な違いは、自動車に気を取られずに歩き、街を楽しめることであろう。自由が丘では酔っぱらったら帰宅途中で車に轢かれるのではないかと思うぐらい、歩くのが危険だ。ということでとても安心して酔っぱらえない。下北沢に住んでいる人は多分、この点に関してはとても豊かな気持ちで酔っぱらえるのではないか。そこらへんの描写がないのが残念というよりかは不思議。本当にお酒を飲む人なのだろうか。出だしのフジ子・ヘミングの引用以上の世界を創造することには失敗した作品であると私は考える。吉本ばななの作家としての限界を感じさせるような作品であろう。

もしもし下北沢

もしもし下北沢

  • 作者: よしもと ばなな
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2010/09/25
  • メディア: 単行本



タグ:下北沢
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