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下北沢を久しぶりに訪れ、そのアーバンな空間は世界でも特筆すべきクオリティであることに気づく [都市デザイン]

下北沢を久しぶりに訪れる。下北沢はそれほど訪れない。大学、そして住まいが京王井の頭線沿線であったことを考えると意外であるが、結構スルーをしていた。スルーをしていたが、やはり近いのでまったく訪れない訳ではない。しかし、ドイツに住み、帰国してから都立大学の方へ引っ越したこともあり、下北沢にはさらにご無沙汰している。

さて、ヨーロッパに住んでいたこともあるが、久しぶりに訪れた下北沢の人出の多さに感心すると同時に、この空間が産み出すエネルギー、活力、そして可能性を改めて強く感じた。それは、ちょっと比肩するべきものがないポテンシャルというか、特別な土地の力、センス・オブ・プレイスである。都市を訪れてこのような感覚に囚われたことがあるのは、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジ、バークレイのテレグラフ・アヴェニュー、クリチバの花通り、ブエノスアイレスのフロリダ通り、デュッセルドルフのアルトシュタット、コペンハーゲンのストロイエ、バルセロナのランブラス、ソウルの明洞などであろうか。いや、これらの場所よりもさらに下北沢はとてつもないエネルギーと熱気、可能性を感じさせる。この凄さは東京に住んでいるとおそらく気づかなかったのだろうが、ドイツから帰ってあまり時間が経っていなかったら気づいたことであろう。

浜野安宏はその著書『人があつまる』で次のように書いている。
「(前略)さらに私達が興味を感じるのは、それらどこの都市へ行っても人があつまる場所があり、人と環境が煮つまったクライマックスのような部分があることだ。私はそのあたりを「界隈」と呼んできた。」
 まさに下北沢は人と環境が煮つまったクライマックスのような状況になっている。それは、人が集まることで、ある化学反応がこの下北沢という都市空間で生じていることである。

私は前述したように下北沢のそばにいたのだが、それほど下北沢に吸引されなかった。それは、実は非常に勿体ないことだったのではないか、と今になって思う。下北沢という人を集める強烈な磁力ある空間は、またそこで人を感化させ、大きく変化させることが可能となるからである。私は下北沢を無意識に避けたことで、その成長する機会を放棄してしまっていたのかもしれない。久しぶりに訪れた下北沢のエネルギーを感じ、その無限のようなポテンシャルに私はひりひりしてしまったのである。その前日に水戸市に行き、そのような都市としてのポテンシャルがほとんど涸れたところとあまりに対照的であったことも、そのようにひりひりした遠因であるかもしれない。何しろ、この下北沢という都市空間は特別なセンス・オブ・プレイスを有しており、それは東京という都市の魅力を構成する非常に重要で貴重な構成因子であることは疑問の余地がない。逆にいえば、これを壊すことで東京の魅力は相当、減殺されることが期待でき、東京が嫌いな人は下北沢を潰すことは相当有効であると思う。例えば、26メートルの広幅員の道路を下北沢に通すようなことをすれば、下北沢のこの素晴らしい人の集客機能にダメージを与え、長期的にはこの街の魅力を矮小化させることが可能であろう。
タグ:下北沢
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