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東京事変のコンサートに行き、日本人でこの時代に生きている幸せを感じる [ロック音楽]

東京事変のコンサートに行く。東京フォーラムである。席は1階の真ん中辺りで、ミキサーの隣。音質的にはほぼ最高に近いような席である。ファンクラブに入った甲斐があるというものだ。さて、コンサートは「勝ち戦」で始まる。渋い選曲だ。衣装は、どうもギリシャ時代の哲学者を意識したようなものであった。プラトンとかソクラテスが着ているような感じの衣装である。ただ、浮雲は結構、決まっていたが、亀田師匠は中年オヤジのオカマのような気持ち悪さを感じさせて、似たような風袋の中年オヤジの私は結構、感心しなかった。肝心の林檎嬢は、背中丸出しのようなセクシーな衣装である。とはいえ、あとで舞台が明るくなった時、肌色のショーツのようなものを着ていたことが判明する。選曲は『スポーツ』中心。スポーツの曲はすべて演奏したと思う。あと『娯楽』からは、「キラーチューン」、「OSCA」、「某都民」、「SSAW」、「月極姫」を演奏した。何か忘れているかもしれない。『大人』からは「スーパースター」、「修羅場」、『教育』からは「遭難」一曲だけ。最近、記憶力が相当、危ないのだが、おそらくそんな感じだったと思う。これに加えて、ソロからは「ありあまる富」、「丸の内サディスティックス」。とはいえ、「丸の内サディスティックス」はアカペラ・バージョン。現メンバーの作品からの選曲が中心で、それはそれで楽しめたコンサートであった。旬を感じた。ただし、「能動的3分間」で浮雲がギターを持っていないのに、ギターのカッティングが聞こえたり、「ありあまる富」でキーボードがタッチミスをしたり、なんか腑に落ちないところもあった。キーボードのミスは観客の私も焦ったよ。しかし、林檎嬢はさすがその程度のミスには動揺もみせず、しっかりと曲を崩さないようにしていた。さすがプロだ。あと、林檎嬢のパフォーマンスは本当に格好いい。彼女とロック音楽でいえば、同じくらい格好いいロック・シンガーはいる。例えば、アラニス・モリゼットとかだ。しかし、アラニスのコンサートでのパフォーマンスは格好が悪い。歌では聴衆を感動させる力を有しているが、パフォーマンスは今ひとつでちょっとこちらが気恥ずかしくなってしまったりする。クリスティナ・アギレラのパフォーマンスは比較的しっかりしているが、まるでヌード・ダンサーのように挑発する。それはそれで、こちらは気恥ずかしくなる。別にあなたにそういうことは求めていないんだけど、と指摘したくなる。それらと比較して、本当に林檎嬢は格好いい。

私的にはコンサートのベストは「絶体絶命」と、バンドが入るまで林檎嬢が歌い上げていた「ありあまる富」の前半部分。これは本当、最後までバンド抜きでピアノだけで歌った方がずっとよかったと思う。不覚にも涙が出そうになるくらいよかった。この2曲以外だと「キラーチューン」、「スーパースター」も林檎作曲でないが、そうとうよかった。あと、まあ「丸の内サディスティックス」は当然のごとく素晴らしく、ラス前の「閃光少女」も素晴らしい。まあ、全般的に非常に質が高いコンサートであったのだが、それらの中でも特にここらへんの曲は輝いていた。

気になるのは英語で歌う曲群。訳詞が舞台に出てくるのだが、明らかに英語の歌詞と異なる。しかも、日本語の訳の方がはるかにいいのだ。東京事変を含めて、椎名林檎の曲の素晴らしさは、メロディの素晴らしさは勿論のこと、そのメロディに彼女の世界観が反映された歌詞がのっかりつくられる椎名ワールドが唯一無二であるからだ。その椎名ワールドは、椎名林檎という天才が、日本語で思考することによってつくられる。言語が思考を司るから当然だが、椎名林檎ワールドというのは日本語という素晴らしい言語がつくりだしたものなのである。夏目漱石の小説、萩原朔太郎の詩と同様に、日本語がつくりだした傑作の一つが椎名林檎の歌詞なのである。だから、英語の歌詞はちょっと残念である。英語だと、その椎名林檎ワールドが聴衆に与える想像力のパワーが弱くなってしまうからである。まあ、いい。今日はとりあえず、私が日本人で日本語をしっかりと介し、その結果、椎名林檎という日本語の傑作を堪能することができるという幸福感に浸ることができたからである。

本当、20代の頃は日本人のロック・コンサートは、外タレのそれと比べてあまりに劣っていたので、ほとんど行けなかったのだが、彼らに勝るとも劣らない日本人のパーフォーマーが出てきたのは日本人として心底、誇らしい。日本人としての誇り、そして勇気を抱くことができたコンサートであった。

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