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デッサウはバウハウスが必要だが、バウハウスは果たしてデッサウが必要か [地域興し]

非常に余計なお世話なことを書く。それはデッサウとバウハウスの関係についてだ。デッサウは旧東ドイツの縮小都市で、結構、将来が暗い。しかし、同様に暗い都市が多くある中で、デッサウは何か人々に期待させるものがある。それは、デッサウにはバウハウスがあるからだ。バウハウスはデザイン界では、そのブランドは伝説化されているし、また世界遺産にも指定されている。ついでに加えると、デッサウにはヴェルリッツの庭園王国という世界遺産もあり、これも結構、地元の人々の心の拠り所になっているかなと思ったりする。まあ、デッサウのように人口が10万人も割った都市に世界遺産が二つもあるというのは、滅多にないことで、ドイツでも他にはヴァイマールくらいしかないのじゃあないか。

ともかく、デッサウにとってバウハウスというのは観光客も年間で10万人ぐらいは集客するらしいし、都市の資源としては極めて貴重であると思われるのだ。ヴェルリッツの庭園王国も多少は観光客が訪れるとは思われるが、世界的なブランドであるバウハウスとは比較にならないと思われる。デッサウの中央駅からバウハウスの校舎まで500メートルくらい歩くのだが、この商店もない凡庸な住宅街の中を多くの外国人が歩いているのを見かける。ほとんどが若者で、建築の学生という風情だ。バウハウスの校舎そして教員の住宅群がデッサウになければ、まずデッサウに来ないであろうと思われる人々である。

さて、このようにデッサウにとってバウハウスは財産であるかもしれないが、果たしてバウハウスがデッサウにあるメリットはあるのか。そもそも歴史的にはバウハウスはヴァイマールで産声を上げた訳だし、最後にはベルリンに移っている。ということで、必ずしもデッサウにある必要はない訳だ。むしろドレスデンとかライプチッヒとかベルリンとかにあった方が、観光客を多く呼べるだろうし、都市との相乗効果もさらに期待できるのではないか。ということを、余計なお世話というか、失礼にもバウハウスのディレクターであるオスワルト氏に指摘すると、最初は興味深そうな顔をしていたが、自分に言い聞かせるように、いや、あの建物がデッサウにある限り、移れないなと言う。確かに、あのグロピウスが設計したバウハウス校舎の建物があるからこそ、バウハウスはヴァイマールよりデッサウというイメージが人々に定着したのは確かである。しかし、それなら21世紀にふさわしいバウハウスの校舎をドレスデンとかライプチッヒとかはたまたベルリンに建てればいいだけなのではないかとも思ったりする。それはビルバオのグッゲンハイム美術館のような集客効果と都市再生効果が期待できるようなものになるかもしれない。そして、現在の校舎はバウハウス博物館として位置づけて、細々と世界遺として管理していけばいいのだ。

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(この建物のインパクトが大きいんだよね。確かにこれがバウハウスだと言われるとそういう気もする。建築による都市のブランディングの先駆的事例である)

さて、このような余計なお世話なことを敢えてブログに書いたのは、やはり建築が都市へもたらす効果というものの大きさに改めて気づかされたこともある。建築はその都市を構成する極めて貴重な資源であり、その都市のアイデンティティをも形成する。日本は特に住宅に関してだが、いや店舗やオフィスビルもそうかもしれないが、この建築に対して過小評価しているような気がする。もっと、優れた建築を積極的に日本においても増やしていくよう努力するといいのではと思うのである。そうすると、バウハウスのように建築によってその土地そして都市に縛られたりもするからだ。そのような建築が果たして日本にあるのか、と思うとあまりなさそうだ。特に大学のキャンパスで優れたものってあまりお目にかかれない。実は、そういう点では、私が奉職する明治学院大学の白金校舎のキャンパスはなかなか優れていると思う。ちょっと話の方向性が乱気流に呑まれたようになってしまったが、しっかりとした建築をつくり、保全することで縮小する都市の防波堤のような役割をも果たし得るということをバウハウスとデッサウの関係を考察することで気づいたのである。とはいえ、新しい時代を切りひらくこともバウハウスにとっては意味があることではないかという考えは変えていない。まあ、私が何を考えても関係ないんだけど。
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