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沢尻エリカは何故、あそこまでマスコミと対立するのだろうか [その他]

私は結構、沢尻エリカが好きである。フランス人とのハーフとはいえ、実質的にはアルジェリア人とのハーフであるが、ドイツ人よりトルコ人の方が美しいと思う私にとっては、結構、ツボを押さえた美人である。映画『パッチギ!』では魅力が存分に発揮されていて、なかなか映像で魅せることができる貴重な女優だと思う。

しかし、今回、活動を再開するに当たり、彼女の公式サイト内から一方的に活動情報を発信することにし、そのサイト内を閲覧するうえでは、いろいろと条件が課せられるようにしたらしい。まあ、ある意味では興味深い方法論かもしれないが、なんでそんなに尖るのだろうか。まあ、いろいろと嫌な思いをマスコミからさせられたかもしれないが、いちいちキレなくてもいいだろう。それが芸能界というところなのではないか、と思う。私のようなちんけな輩でさえ、拙著の書評でアマゾンとかでお門違いの酷評を受けたりして、結構、むかついたりするが、そのような目に合うのが物書きの宿命であると思って我慢している。私なんて本も売れずに、しかもお門違いの酷評をされるのである。いや、酷評が的を射ていればいいのだが、「筆者は日本に住んだことがあるのか」(人生の8割以上は日本に住んでいる)とか、仮説が正しくないことを、反例を示して論証していることを、仮説が正しくないという仮説を証明していないから「まったく駄目」と、自分の論理性のなさを晒しているのに鬼の首を取ったような批評をしているものがあったりすると、がっかりする。しかし、そのようなものも流す、というのが大人の対応なのかなと思ったりもする。まあ、そもそも大学の教員とかしていると、掲示板とかに滅茶苦茶書かれたりするからね。私の同僚の先生が、真面目に掲示板にて反撃を試みて炎上したりしているのを冷ややかに横目で見ていたりしたこともあるが、まあ、流せばいいのである。

沢尻エリカなんて、馬鹿売れで一挙手一投足が注目されている女優なんだから、いろいろと追いかけ回されて書かれるのは有名税みたいなものだろう。嫌いなマスコミにサービスする必要はないだろうし、取材もしなければいいと思う。しても、「別に」と言っていればいいのだ。それでも、沢尻エリカが好きなファンは映画をみたり、コンサートをやれば観に行ったりするのだろう。そもそも、インターネットがあるのだし、旦那はハイバーメディア・クリエイターとか何か凄まじい肩書きを持っている人なので、マスコミに宣伝してもらわなくてもどうにか上手く情報を広報する方法論を知っている筈である。つまり、マスコミを利用する必要がなく、情報をもったいぶって「公開」することも不要だと思うのである。それなのに、マスコミに対して、私の情報を知りたいなら、私の提出する条件に同意しろ!とかいうのはちょっと違うよなあ。そんな特別な情報を提供する訳でもないだろうし、情報をマスコミを通じて流布してもらう必要はないじゃないか。

まあ、それはともかく気になるのは、この沢尻エリカの他人との協調性の無さである。協調性というか、他者との親和性に欠けすぎていないか。しかし、これはそのような親和性を私が過剰に意識し過ぎているからだけかもしれない。そこに、私は農耕民族のDNAを持つ日本人と砂漠の民のDNAを引き継いでいる沢尻エリカとの違いを見たいと思うのだが(個人的に私の隣人のモロッコ人に多大なる迷惑を受けているということもあって)、これはあまりにもいい加減か。というよりかは社会的には問題発言の誹りを免れないような破廉恥な意見であろう。しかし、そういうことを自覚しつつも、沢尻エリカの態度の奇天烈さは、そういう非論理的な説明をも求めたくなっている自分がいることも事実だ。ドイツのデュッセルドルフに住んでいると、沢尻エリカをさらにエキゾチックにしたようなトルコ美人が街に溢れかえっているので、日本にいたときのように彼女には惹かれなくなっていることもあり、彼女のこの傲慢過ぎる態度はより理解できなくなっている。そこまで大女優なのか、エリカ嬢は?そんなにマスコミが嫌ならいっそのこと女優業というか芸能活動を辞めればいいだろう。金儲けが上手そうな旦那とせっかく結婚したのだから。

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