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デュッセルドルフ市の都市計画局長に取材する [都市デザイン]

デュッセルドルフ市の都市計画局長リヒャルト・エルベンス氏に取材をさせてもらう。デュッセルドルフ100年に1度のチャンスと言われているクー・ボーゲンの開発に関してお話を聞かせてもらうためであるが、これまでいろいろと抱いていた疑問なども聞かせてもらった。この取材は、雑誌『区画整理』3月号の原稿のために行ったので、関心がある方はそちらを参照していただければと思うが、ちょっと原稿では書けなかったことをこのブログでは覚え書きのように書き連ねたいと思う。

デュッセルドルフの都市計画は相当、優れている。この都市は80年代頃から積極的に優れた都市計画を展開してきたことで都市のアメニティを高め、そして空間の質を向上させ、都市の格というか麻雀でいうところの飜を増やすことに成功したのである。このことを問うと、局長もトップではないかもしれないが、トップ・グループであることは間違いないと言っていた。ドイツの都市計画はもう我が国に比べると遙かに優れている。ドイツは日本に比べて、それほど秀でたところはないな、とこちらで生活していると感じるが、都市計画だけは違う。インドネシアと比べたら、イチローと幼稚園児くらいの差だ。まあ、それだけ優れているドイツの中でも優れているのだからデュッセルドルフは相当のものだと思われるのである。

しかし、どうしてそのようになったのか。これは小さい成功の積み重ねであると局長は解説する。1980年代後半、ライン川に議事堂をつくり、そしてラインタワーを竣工する。ラインタワーのデザインはコンペで競わせて、他の都市のそれとは一味も二味も違う優れた意匠のものとする。ここらへんで港湾地区が徐々に様変わりをするために胎動し始める。そして、フランク・ゲーリーの1999年のオフィス・ビル群ができるあたりで、デュッセルドルフの都市のイメージをも刷新するような地区、メディエンハーフェンが広く人々に認識されるようになるのである。

都市政策の目的は、何しろ生活の質を向上させるような空間づくりをすることだそうだ。そのためには短期的な経済的メリットを犠牲にすることも厭わない。そして、そのような空間づくりをするためにコンペを活用する。デュッセルドルフの都市計画局には4つの部署がある。1つは総務部で、もう一つは都市開発・更新局で、残りの二つはコンペ担当部署である。コンペ担当部1とコンペ担当部2である。それほどデュッセルドルフの都市計画においてコンペというものは重要な役割を有している。これはコンペをすることで、優れたアイデアを世界中から求めたいためである。

この「質を何しろ優先する」という政治指針は市長が替わっても変わらないだろうと局長は言う。というのは、この指針で大きな成果が得られてきたからである。成功の方程式として、質を優先する都市計画があるとの共通理解が政治家だけでなく、行政の職員、そして市民にもあるからだそうだ。どっかで聞いたことがあるフレーズだなと思ったら、クリチバじゃあないか。クリチバといえば、「何しろ小さいことの積み重ねが成功に繋がる」という発言をも局長は言っていた。これもクリチバと同じだ。本当、うまい都市計画をやるとうまく行くんだなあ、と改めて思う。え!じゃあ、何で日本はうまくいかないのかって。それは、ちゃんとした都市計画ができていないからじゃあないの。今時、下北沢に20メートル道路を通そうとしたり、世界遺産候補の鞆の浦の湊に架橋ししようなんて発想をしているようじゃ、上手く行くと考える方が間違っているのではないだろうか。

とはいえ、何となく生活をしていて、この都市はちょっと違うとは感じていたが、改めていろいろと局長に話を聞いて、その成功ストーリーが理解できて大変よかった。大学のあるドルトムントも結構、都市計画がしっかりしている自治体として知られているが、デュッセルドルフのような華やかさには欠けている。1年だけだが、この都市で生活できてよかった。中央駅で置き引きにあったのは悔しくて残念で情けないが、それでもこの都市には来た時にはまったく持っていなかった強い愛着を今では感じる。
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