笛吹き男で有名なハーメルンを訪れる [都市デザイン]
ヴェーザー川の畔にあるハーメルンを訪れる。ハーメルンは笛吹き男で有名だが、その中心市街地も古い木組みの家や、張り出し窓の意匠が素敵な建築があったりして、なかなか魅力溢れる都市である。しかし、自動車でならともかくとして、鉄道で行こうとすると不便だ。ハノーファーからだと直行の郊外鉄道が走っているのでそれほど不便ではないかもしれないが、デュッセルドルフからだと接続が悪いと4時間近くもかかってしまう。デュッセルドルフからだと行き方は3つある。ビアフェルトの先にあるレーネで乗り換えて、ディーゼルの単線でとことこハーメルンまで行くパターン。レーネの手前のヘアフォルトまで特急で来られればこれが最短時間の3時間ぐらいで来られるが、列車の本数が少ないのが難点である。もう一つは、パーダーボーンまで行き、そこで乗り換えて行くパターン。これだと4時間はかかるが、列車の本数は多い。3つめは前述したハノーファーまで行くというパターン。これもやはり4時間ぐらいはかかる。ということで、魅力はあるのだが、なかなか行くための敷居が高い都市なのである。
(ハーメルンのマスコットはやはりネズミであった。しかし可愛くない)
しかし、今回は知り合いの先生のゼミ生が遊びに来たので、一緒に行くこととする。ハーメルンの中心市街地は駅から結構、離れている。ドイツの多くの城郭都市は、中心市街地が駅から1キロメートルぐらい離れている。これは、鉄道が建設された時、鉄道が嫌われたからである。今、思うとこれは結構もったいないことをしたなとも捉えられるが、一方で道路は勿論のこと鉄道にも邪魔されない優れたヒューマン・スケールのアメニティを中心市街地が確保できる要因となっている。それと私のような街歩き好きには、この駅から中心市街地までのアプローチは決して嫌いではない。ハーメルンも駅から中心市街地までは凡庸な商店街を歩いていくこととなる。中心市街地を囲むように通る環状道路をくぐる地下道路を出ると、そこから中心市街地に入り、歩行者専用道路になる。いきなり笛吹き男の家がある。笛吹き男ではあるが、ネズミ採り男の家と書かれている。現在はレストランが入っており、パンでつくったネズミもここで手に入る。
(笛吹き男の家)
ハーメルンはクリスマス・マルクト盛りで、屋台や幼児を対象とした移動遊園地のアトラクションが所狭しと並んでいた。屋台はみな木組みで、屋根には樅の木のようなものでデコレーションされている。結構、レトロな感じがうまく演出されていて感心する。木曜日であるのに、凄い人出で驚く。みんな仕事はどうしているんだろうか。よく見ると子供もいたりする。学校はどうしたんだ、といらぬ心配をしてしまう。歩行者専用道路はなかなか秀逸で、特にマルクト広場周辺は優れた空間体験ができる。仕掛時計も、笛吹き男が出て、その後をネズミが追いかけるというものでなかなか面白い。こういう一見、無駄と思えるような工夫をすることでその都市のアイデンティティが強化され、その都市の魅力が向上するのではないかと思わされる。
(マルクト広場)
(多くの人々で賑わうクリスマス・マルクト)
(マクドナルドも周囲に合わせて看板を謙虚なデザインのものとしている)
ところで、笛吹き男は物語ではなく、史実であるらしい。史実であれば、なかなか怖いことだ。なんせ130人の子供が消えてしまったのだから。その解釈はしかし何通りもあり、実際は子供ではなく、東方の植民地(旧東ドイツや現在のポーランド)へとハーメルンの人達が行ったことに基づいているというのが、結構説得力がある。なぜなら、これらの地域にはハーメルンに由来する名字の人が多くいるからだ。なかには笛吹き男が変態小児愛好者だったとか、悪魔だったとかの解釈もあるが、そのように解釈してしまうとまったくロマンがなくなりつまらない。変態小児愛好者と解釈する方が、よほど変態なのではないかと思うのは私だけだろうか。まあ、そうだとしても130人も連れて行くというのはあり得ない。変態小児愛好者とか悪魔とかの解釈は、逆に想像力の欠如を思わせる。それはともかくとして、この笛吹き男のミステリー性は高く、人々の好奇心をそそる。都市の方でもそこらへんはしっかりと自覚しているのか、現在も音を立ててはいけいない一画が中心市街地にあったり(もしかしたら本気でタブー視しているのかもしれないが)、マルクト広場の仕掛時計で笛吹き男とそれを追いかけるネズミが出てきたりとか、都市のストーリー性をさらに演出する仕掛けは、旅人の気持ちを高ぶらせる。旅人はもちろんのこと人はストーリーに惹かれる。グローバル化時代においては、さらにそのストーリーをうまく伝える手法が都市というメディアにも必要とされてきていると思われる。分かってくれない人には分かってもらわなくてもいい、という姿勢は、これからの都市や地域においては、あまり親切ではなく、貴重な機会を逸することにも繋がるのではないかと思われる。
(ハーメルンのマスコットはやはりネズミであった。しかし可愛くない)
しかし、今回は知り合いの先生のゼミ生が遊びに来たので、一緒に行くこととする。ハーメルンの中心市街地は駅から結構、離れている。ドイツの多くの城郭都市は、中心市街地が駅から1キロメートルぐらい離れている。これは、鉄道が建設された時、鉄道が嫌われたからである。今、思うとこれは結構もったいないことをしたなとも捉えられるが、一方で道路は勿論のこと鉄道にも邪魔されない優れたヒューマン・スケールのアメニティを中心市街地が確保できる要因となっている。それと私のような街歩き好きには、この駅から中心市街地までのアプローチは決して嫌いではない。ハーメルンも駅から中心市街地までは凡庸な商店街を歩いていくこととなる。中心市街地を囲むように通る環状道路をくぐる地下道路を出ると、そこから中心市街地に入り、歩行者専用道路になる。いきなり笛吹き男の家がある。笛吹き男ではあるが、ネズミ採り男の家と書かれている。現在はレストランが入っており、パンでつくったネズミもここで手に入る。
(笛吹き男の家)
ハーメルンはクリスマス・マルクト盛りで、屋台や幼児を対象とした移動遊園地のアトラクションが所狭しと並んでいた。屋台はみな木組みで、屋根には樅の木のようなものでデコレーションされている。結構、レトロな感じがうまく演出されていて感心する。木曜日であるのに、凄い人出で驚く。みんな仕事はどうしているんだろうか。よく見ると子供もいたりする。学校はどうしたんだ、といらぬ心配をしてしまう。歩行者専用道路はなかなか秀逸で、特にマルクト広場周辺は優れた空間体験ができる。仕掛時計も、笛吹き男が出て、その後をネズミが追いかけるというものでなかなか面白い。こういう一見、無駄と思えるような工夫をすることでその都市のアイデンティティが強化され、その都市の魅力が向上するのではないかと思わされる。
(マルクト広場)
(多くの人々で賑わうクリスマス・マルクト)
(マクドナルドも周囲に合わせて看板を謙虚なデザインのものとしている)
ところで、笛吹き男は物語ではなく、史実であるらしい。史実であれば、なかなか怖いことだ。なんせ130人の子供が消えてしまったのだから。その解釈はしかし何通りもあり、実際は子供ではなく、東方の植民地(旧東ドイツや現在のポーランド)へとハーメルンの人達が行ったことに基づいているというのが、結構説得力がある。なぜなら、これらの地域にはハーメルンに由来する名字の人が多くいるからだ。なかには笛吹き男が変態小児愛好者だったとか、悪魔だったとかの解釈もあるが、そのように解釈してしまうとまったくロマンがなくなりつまらない。変態小児愛好者と解釈する方が、よほど変態なのではないかと思うのは私だけだろうか。まあ、そうだとしても130人も連れて行くというのはあり得ない。変態小児愛好者とか悪魔とかの解釈は、逆に想像力の欠如を思わせる。それはともかくとして、この笛吹き男のミステリー性は高く、人々の好奇心をそそる。都市の方でもそこらへんはしっかりと自覚しているのか、現在も音を立ててはいけいない一画が中心市街地にあったり(もしかしたら本気でタブー視しているのかもしれないが)、マルクト広場の仕掛時計で笛吹き男とそれを追いかけるネズミが出てきたりとか、都市のストーリー性をさらに演出する仕掛けは、旅人の気持ちを高ぶらせる。旅人はもちろんのこと人はストーリーに惹かれる。グローバル化時代においては、さらにそのストーリーをうまく伝える手法が都市というメディアにも必要とされてきていると思われる。分かってくれない人には分かってもらわなくてもいい、という姿勢は、これからの都市や地域においては、あまり親切ではなく、貴重な機会を逸することにも繋がるのではないかと思われる。