SSブログ

ドイツ語学校に通い、語学教育のことに思いを巡らす [語学に関して]

10月と11月にドイツの語学学校に通った。月曜から金曜まで午前8時30分から午後1時までである。以前5月と6月にも通っていた。このドイツ語学校はレベルをAレベル、Bレベル、Cレベルと分類しており、Aレベルが4段階、Bレベルが5段階、Cレベルが3段階にさらに細分類されている。Aレベルを終えると日本語のドイツ語検定の3級、Bレベルを修了すると2級、Cレベルを修了すると1級に相当すると思われる。私は、ドイツに来る前に慶応大学の外国語学校の初心者レベルのコースに通ったことがあったので、5月にはAレベルの3段目、6月には同レベルの4段目、10月にはBレベルの1段目、そして11月には同レベルの2段目に通い、修了した。慶応の外国語学校はAレベルの1段目に相当し、私はこのコースを最低限に近い成績で通ったにも関わらず(まあ主要因は出席率が低かったからであるが)、語学学校の入学テストが選択肢を選ぶものでどうも勘がさえてしまったらしく、最初Aレベルの4段目のクラスに入れられてしまい、初日の1限が終わったあと急いで3段目に移してもらったという経緯がある。3段目のクラスに入っても、いきなり「昨日何をしましたか?」と先生に聞かれて、過去形を学んでいなかった私はまったく答えられなかったという苦い思い出がある。ここで2段目のクラスに移動しなかったのは、3段目のクラスにたいへん感じのいい30代後半の日本人男性がいて、一緒に学習すると効率よく学習できるだろうと考えたからである(この狙いは当たった)。

ドイツ語を学習して分かったことは、文章を理解するのには何しろ文法が大切であるということだ。文法が分からなくてもしゃべられるというのは、楽譜を読めないで自己流で楽器演奏を習得しようとするもので極めて非効率だ。楽譜を読めなくても、自己流で弾けるようになったりするかもしれないが、効率が悪い。よく、楽譜が読めなくてもギターが弾ける例としてビートルズのジョージ・ハリソンやジョン・レノンが挙げられるが、だから彼らはあんなにギターを弾きまくっていても決してうまく弾けなかったのである。楽譜が唯一読めたポール・マッカートニーがベーシストであるにも関わらず、ジョージやジョンよりギターがうまく弾けるのは、しっかりと音楽を論理的に理解できていたからではないかと思うのは私だけであろうか(これはもしかしたら例外、すなわち楽譜が読めなくても超絶テクニシャンがいるかもしれないので、比喩としては適切ではないかもしれない。もしかしたらジェフ・ベックは楽譜が読めなかったかもしれない・・・。でも、そうだとしたら、だから彼は作曲ができないのだ)。

話が語学から逸れてしまったが、文法の習得と同時に大切なのは語彙力であろう。語彙がなければ文法を理解しても、言葉にならない。ある意味では語彙が豊富であれば文法が間違っていても通じる。文法の理解力と語彙力が向上すれば本が読めるし、文章も書ける(これは相当、難しいが)ようになる。すると、独学でもドイツ語が勉強できるようになると思う。そして、私のような立場であれば読解力と執筆力の二つが最も外国語学習において必要なものであるのであり十分なのだが(執筆力もドイツだと英語で済ませられるのでそれほど必要としない)、この方法論だと会話力やヒアリング力がなかなか鍛えられない。この二つはドイツで生活しているという条件においてのみ必要とされるが、私は現在、ドイツで生活しているので、この二つが劣っていることは結構、問題となる。実際、私の会話力はBレベルの2段目では相当、周囲から劣っており、クラスメートの評価も10人いる学生の中でカタール人の女の子の次に駄目ということであった(ここらへんはあけすけで面白い)。ヒアリング力も結構、劣っているのだが、これはドイツ語テープを頻繁に聴いたりしていたら多少は向上した。とはいえ、クラスメートの中でも平均以下であると思う。ただし、ヒアリングはもっとも早く向上するので、それほど心配することはないと思う。多くの場合、語彙力が不足しているので、何を言っているかが分からないという場合もあるので、正しい発音で理解した語彙力が向上して、耳が慣れてくれば聞こえてくると思う。ということで、会話力をどのように鍛えるか、というのが課題であるのだが、これは単語を覚えるように、言い回しをそのまま暗記するというのが効率がよいのであろう。とはいえ、さすがに40代後半の脳味噌だとなかなかこの覚えることが辛くなる。言い回しどころか熟語でさえ、単語に比べて遙かに覚えられない。ドイツ語は英語と相当似ているが、前置詞が異なる場合が多い。例えば「参加する」は、take part in やparticipate inと前置詞はinを用いるが、ドイツ語だとteilnehmen anとan、英語でいえばonになる。これはドイツ人が英語を学習するうえで直面する難しさだが、英語を下手に理解してしまっている私のような人間も大いに混乱させられる。もう、これは九九のように熟語を暗記しなくてはならないのだが、これがもう記憶力が劣化している私にとっては辛いのである。もう、親爺ギャグの語呂合わせで覚えているという状況である(たとえばアンを思い出す erinnern an など)。

さて、ドイツ語学習をしていると、よく先生やクラスメートから日本語のように、ドイツ語とまったく異なる言語を母国語にしているとその習得は大変だろうと同情される。しかし、ドイツ語を勉強して気づいたことは、私はドイツ語を理解しようとしている時には常に英語で考えているということである。すなわち、私の英語脳が機能しており、日本語脳はめったに出てこないのである。日本語脳が出てくるのは、ドイツ語の英語訳が分からず、英語脳が思考停止した時や、前述した親爺ギャグの語呂合わせの時ぐらいである。これは面白い現象だ。だから、本来的には英語を母国語とする人間と同様なハンディしか有していない。とはいえ、このように同情されるのはドイツ語の出来が悪いからなので、まあ、あまり訂正しないようにしている。訂正するとより惨めになるからである。もちろん、私の英語脳はそれほど優秀ではないので、優秀なアメリカ人のように効率よくはドイツ語を習得できないが、まあ、それでも相対的に優れている日本語脳よりはドイツ語の理解が早くなると思う。これが、面白い現象だなと思うのは、私はスペイン語を学習していたことがあるのだが、スペイン語の時はあまり英語で考えなかったように思うからである。やはり、ドイツ語というのは英語に相当、近いと思われる。もちろん、ドイツ語がなかなか習得できない学生の多くは、英語で考えすぎているからであり、私も先生にそのような指摘を受けるし、これ以上のレベルを目指すのであれば、英語からの独立を意識しないといけない。特に、これはアメリカ人の学生ともよく議論するのだが、副文や分離動詞などの構造の違いをしっかりと把握するためには、英語を捨てなくてはならないと思う。ドイツ語習得の最初のレベルでは有用な英語脳であるが、そのうち英語脳が足を引っ張ることになるし、これは英語が母国語ではないが英語脳を有している私のような人間が落ちやすい陥穽である。

まあ、それほどクラスでも優秀ではない私がドイツ語学習のことを云々ぬかすのはちょっと自分のことを棚に上げて感が強いが、とりあえずBレベルの1段階目修了に相当するドイツ語資格試験(おそらく日本の独検でいえば準2級ぐらいのレベル)には通ることができたので、少しは参考にはなるかなと思ったりする。また、しばらくドイツ語の学習からは離れる。ドイツ語を勉強するためにドイツに来ている訳ではないからだ。とりあえず意味はないかもしれないが、資格試験を通ったので達成感もある。あと1点付け加えると、ドイツ語をはじめ語学の学習は、少しを継続的にやることより、集中的にやった方がいいと思う。これは一般論とは異なるかもしれない。集中力はなかなか続かない。私の日本人の知り合いでもずっと継続的にドイツ語学校の集中講義を受けていたりするが、だれると言っていた。よほどの精神力の持ち主でないと集中講義を継続して集中力をもって受講することは難しいと思われる。ちなみに私は2ヶ月が限界である。

まあ、もしかしたら大学が春休みに入った帰国前の3月にもう一度集中講義を受けるかもしれないが、その時は他の仕事も溜まっているのでおそらく受講するような余裕はないであろう。つくづく、若い時にもっと勉強しておけばよかったと悔いる。本当に人生、何やっているんだろう、と思うことしきりである。そして、今のイマイチな人生を導くための人生の選択のミスを私はほとんど10代後半と20代でしている。30歳以降になるとミスをする余裕もなくなるが、多少は賢くもなるのであまりミスもしなくなる。若い時のミスはその後の人生、大いにツケとして回ってくるので、若い人はしっかりと将来のことを考えておくといいと思う。話が語学からちょっと逸れてしまった。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0