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アーヘンの世界遺産大聖堂を訪れ、街並みを散策する [都市デザイン]

アーヘンに行く。私の所属する学部のヘッド(学部長)がアーヘンに住んでいるので、同僚達と訪れてアーヘン視察をした。ヘッドの旦那さんは、若い時にアーヘンのツアー・ガイドをしていたことがあるらしく、まあ無料でアーヘン・ツアーに参加するような形であった。しかもヘッドは、このアーヘンの旧市街地にもキャンパスを有しているアーヘン大学のキャンパスの敷地計画を担当しているので、都市計画的な解説までもしてもらった。まさに最強のアーヘン・ツアーを体験することになったのである。

アーヘンはデュッセルドルフから急行列車で1時間ちょっと。人口は26万人弱。ベルギーとオランダの国境近くにあり、ヘッドの家からはオランダを望むことができる。ブリュッセルとケルンとを結ぶ回廊状にあるため、超特急列車タリスが停車する。アーヘンの綴りはAachenとAが二つ続く。そのためミシュランのドイツ・ガイドなどで必ず最初に来る。また、ドイツで最も西に位置する。そして、アーヘン大聖堂はドイツ最初の世界遺産として登録された。なかなかドイツの都市の中でも特別な存在感を放つ都市である。

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(アーヘン大聖堂)

特に、その歴史は特筆すべきものがある。ローマ時代から温泉が出ており、ローマ人の保養地として位置づけられる。アーヘンという名前も「アクア=水」に由来する。中世にはカール大帝がここに王宮を置いたので、フランク王国の中心となる。カール大帝は、示威的な性格であったために、ここアーヘンの大聖堂を非常に立派なものとした。当時のこの地域ではほとんど見ることもない青い大理石などを用いた大聖堂内の宮殿教会は、その後に増築された礼拝堂に比べると小さいが、当時はアルプス以北、最大のドーム建築であり、その雄大なる空間に人々はカール大帝の偉大さを改めて確認したことであろう。ここにカール大帝は埋葬されており、アーヘン大聖堂は「皇帝の大聖堂」と言われる。ここで戴冠式を行った神聖ローマ帝国の皇帝は30人に及ぶ。この時代は、エルサレム、サンティアゴ・デ・コンポステーラに次いで巡礼者がアーヘンを訪れたそうである。

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(宮殿教会)

その後、16世紀には衰退するが、17世紀になると温泉保養地としてヨーロッパの社交場として栄える。多くの国際会議もここで行われるようになる。都心には、今でも温泉が出ている場所がある。腐った卵のような臭いを発しているが、箱根の強羅のように強烈ではない。手で触れると暖かい。この温泉が出ているところにつくられた建物には、当時、アーヘンを訪れた著名人の名が刻まれたプレートがある。その後、アーヘンは産業都市として発展する。特に、針の製造が盛んになるようだ。現在のアーヘンは歴史ある観光都市というイメージがあるが、実際は工業都市である。特にアーヘン大学からのスピンオフによる電子産業、化学工業などが盛んである。周辺には炭鉱もあり、ルクセンブルグの鉄鉱石とで鉄鋼業も繁栄したが、アーヘンはそれら鉄鋼業や炭鉱業の司令塔として機能してきた。

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(アーヘンの町の起源ともなった温泉は現在でもわき出ている)

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(とはいえ、温泉はすべて地下に流れており、その痕跡を観ることは現在は不可能。たまに、このようなモニュメントが置かれており、我々にこの町に温泉があることを知らしめてくれる)

そして、現在は市街地にあるアーヘン大学のキャンパスと郊外とのキャンパスとを強化させるような計画が検討されている。70年代の機能優先型でつくられたキャンパスを、より快適性の高い、空間としての質を高めるようなものにすることでアーヘンの市街地もより魅力的なものへと変容させることが可能となるであろう。アーヘンも御多分に漏れず、他のドイツの都市のように第二次世界大戦でその多くが破壊された。そのために、伝統的な空間と新しくつくられた空間との間に多少、ギャップがある。また、同規模の都市であるフライブルグやミュンスターなどに比べると、都市のレジビリティ(分かりやすさ)が低い。ここらへんを改善するポイントはアクセスであろう。ケビン・リンチが都市デザインの5つの指針として挙げた項目の一つであるアクセス。これがアーヘンは弱いという印象を受ける。都市構造的には、中心市街地を核として一次リング、二次リングが形成され、三次リングは市民の反対によって中途半端にしかつくられていないが、このリングが動線を分断してしまっている。しかも、これらのリングがミュンスターのように都市構造を印象づけるような都市デザインが施されていない。オリエンテーションがしっかりしていないというか、都市の構造が分かりにくい。まあ、ここらへんは、住んでいる人には問題はないだろうが、それでもレジビリティが高いに越したことはない。特に大聖堂をランドマークとして機能させるために視覚のアクセスをデザインすることが重要であろう。私のヘッドもそこらへんは十二分に自覚しており、改善すべきポイントを歩きながら提示してくれた。とはいえ、日本の都市に比べたらはるかに現状でもしっかりとしており、私は本当に何を外国でうんたら都市デザインの批評しているのだろうか、という気分にもさせられる。日本ではあまりにも手がつけられないとの諦観と、実践から距離を置いていることの引け目からあまり直視できないことが、外国だと出来るから不思議である。まあ、いろいろと勉強になったアーヘン・ツアーであった。

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(アーヘンの市役所)

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(市役所前の広場)

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(最近になって増築された大学の建物。ちょっとその方向性は?)
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