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コールドプレイのコンサートに行き、彼らの得意技は「じらし」であることを知る [ロック音楽]

埼玉スーパーアリーナのコールドプレイのコンサートに行く。7時開演ということで7時ぎりぎりに行ったのだが、なんと前座のジョン・ホプキンスが演奏を続けていた。このジョン・ホプキンスは、はっきり言ってファンでなければ2曲が限界である。キーボードのメロディーを繰り返すインストの曲は、はっきり言って退屈。早く出ろよ、コールドプレイといらいらする。しかし、私のいらいらをあざ笑うように、このジョン・ホプキンスは7時30分過ぎまで演奏を続けた。さて、ようやくコールドプレイだ、と思っていたら準備をずっとしており8時になっても開始しない。短気の私は、もう帰ろうかと思ったくらいである。なぜ、他の人達は我慢ができるのだろうか。自分のせっかちさを自覚すると同時に、他の人達はよほど暇なのか、と驚く。もう、この「じらし」の我慢も限界に達しそうになった8時10分頃にようやくコンサートが開幕する。この時点では、そんな客を待たすようなバンドかよ、と随分不愉快になっている。ともかく最初の曲は、新アルバムのトップを飾る「ライフ・イン・テクニカラー」。その後は、あまりよく覚えていないが「イエロー」、「ポリティック」、「スピード・オブ・サンド」、「クロックス」、「サイエンティスト」、「ラバース・イン・ジャパン」、「ヴィバ・ラ・ヴィダ」などが印象に残った。個人的にはベストは「ラバース・イン・ジャパン」。

さて、このコールドプレイ。改めてライブで聞くと、そうとう変わったバンドである。まず、リード・ギターが一切ない。すべて、ギターはサイド・ギターでアルペジオか単音カッティングの繰り返しのような演奏である。もう、ひたすらツェルニーのピアノ演奏曲のような感じで、リフのようなメロディーが繰り返される。その単調に繰り返されるメロディーに合わせて、分散コードで曲は展開していく。その分散コードのベース音をベースが弾くといったパターンが多い。ベースのアレンジは恐ろしく単調。そして、このパターンがひたすら「じらし」のように繰り返されて、ああ、なんかこの状況を打破してくれないかなあ、といらいらした時を見計らったように曲が展開する。そのタイミングはなかなか絶妙である。例えば、「ラバース・イン・ジャパン」では、ソラソシシララシシ、というメロディーがひたすら繰り返され、ベース・ラインだけがG,D,Em、Cと展開していく。コードは分散だが、それにしてもあまりにも安易なコード進行だ。味噌は、ここで歌のメロディーが美しいということ。そして、その繰り返しがちょっとしつこいかな、と思った後少し「じらし」が入って、ああどうにかして、と思った時に曲調は展開していく。しかし、タイミングはよく気持ちがいいが、ウワーっというような盛り上がりはないまま、クライマックスを迎えない抑制された中で曲は終わっていく。ううむ、じらされてそれでこの程度しかサービスしてくれないか、という感じで、ある意味でお行儀がいいというか、ふっきれていない。通常は、ギター・ソロがカタルシスを感じさせてくれるのだが、コールドプレイはリード・ギターがないので、そのような場面もない。ギターがソロのように演奏するところがあるが、ボーカルなしでアルペジオを弾いたり、ちょっと単調なメロディーを奏でたりする程度だ。楽曲のパターンはツーパターン。上記のパターンかピアノ弾き語り系のバラード。しゃれたベース・ラインもまったくない。それなのに悪くはない。まあ、衝動性を抑えていて、全般的にコントロール下にあるためロック特有の爆発するようなエネルギーが全然ないのだが、楽曲のよさとボーカルがうまいので、何か納得してしまうというか、ケチがつけにくい。テクニック的には恐ろしく簡単なようで、しかし、おそらくコピーをしたら悲惨なバンドの典型。似たようなバンドとしてはU2か。とはいえU2は下手がコピーをしてもそれなりに格好よくなるので、その点は異なる。

ひとつ他のバンドとの特異点として挙げられるのは、ボーカルのクリス・マーティンのボーカルの旨さとルックスの良さである。ピアノの弾き語りで、空間を支配できるボーカルの力量は大したものだ。さらに、そのルックスは、ブルース・スプリングスティーンをイギリス人にしたような感じで、私的にイメージするキリストのような風貌である。さすが、大女優グウィネス・パルトローを嫁にするだけのことはある。ただし、悪っぽさが全然なくて、優等生がロックをしている感じだ。あと、クリスは格好がいいが、ドラムのウィルとかいうのは、ロック史上最も不細工なミュージシャンの一人ではなかろうか。別に不細工でも格好いいミュージシャンは数多くいるが(例えばミック・ジャガー)、彼はなんか不細工でいて格好も悪い。これはナルシスト的なものがプンプン感じられるからであろう。ドラムを叩いている風貌をみて、さらに格好が悪いと思った次第である。

総括すると、消費型のロックであり、ロック史的には意味がほとんどないバンドとなるだろう。ただ、聞いていて気持ちいいけどね。コンサートのオープニングはヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」であったが、妙にコールドプレイの音楽と合った。まあ、クラシックのような感覚で安心して聴いていればいいバンドなのであろう。スーパートランプとかに似ているかな、と思ったが、スーパートランプの曲の方が、展開がドラマティックだし、もっと演奏をする必然性を感じるし、歌詞が絶妙だよね。例えば、「テイク・ア・ロング・ウェイ・ホーム」なんて涙なしには聞けない。もちろん、コールドプレイも、たまに「ポリティック」のようにハッとさせられる歌詞の曲もあるが、総じて、美味しいチェーンのレストランの料理のような音楽のような感じである。そこそこ美味しいけど、ガツンとは来ないし、それほど印象にも残らない。しかし、美味しいから食べていてちょっと幸せな気分になるし、空腹は満たされるのでそこそこハッピーにはなれる。

このそこそこハッピー感は9000円の価値はあったし、それなりに面白かったが、私の貴重な時間を1時間も無駄にさせられ、あまりカタルシスも味わえず、どうもすっきりとしないコンサートであった。欲求不満は結構、たまっている。などとケチをつけつつ、コールドプレイのアルバムはライブを含めて全部持っていることに気づいた。まあ、バックグランドミュージックとかには適当なんだよねえ。しかし、真摯に論評すると、これはおそらくロックじゃないね。ロックじゃなくても別にいいんだけど、これは狭義ではロックじゃない気がする。ビリー・ジョエルにより近い。曲調が似ているかなと思いシンプル・マインズを久しぶりに聴いたら、シンプル・マインズの方が遙かに格好がよかった。コールドプレイは随分とヒットしているようだが、これはコールドプレイ程度のバンドがヒットするほど、他にいいバンドが出てこない、といういわばロック不毛の時代の証であるのかもしれない。この時代にティーネイジャーじゃなくてよかった、とちょっと思わさせられたコールドプレイのコンサートであった。
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