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じゃんがらラーメンを食べながら、BGMのサザンオールスターズにいらつく [ロック音楽]

学生と秋葉原のじゃんがらラーメンを食べに行く。秋葉原に中古のコンピューターを売りにいったのだが、重いので運んでもらったのでそのお礼である。私としては、まつやの蕎麦を食べたかったが、学生はラーメンというので、今日はお礼ということでじゃんがらラーメンに行く。蕎麦を食べたかったが、じゃんがらラーメンは相当、美味しいと思う。基本的には豚骨が好きなので、浜田山のはじめ、秦野のなんつッ亭、博多の長浜ラーメン、大井町ののりやとかがお気に入りである。ところで、このじゃんがらラーメンのBGMが一貫してサザンオールスターズであった。ふんふんと聞いていて最初はそんなに違和感を覚えなかったのだが、そのうちそのダサさにいらついてきた(こういうことを書くと、また不愉快になる読者がいるんだろうなあ。ご免なさい)。21世紀にもなって、サザンオールスターズが現役であり、似たような曲を大量生産して、それを有り難がっているのは、まったくロック文化的には停滞しており、淀んでいる。そもそも、サザンオールスターズは音楽的にそんなに有り難がるほど優れたものではない。しょせん、ビートルズやビリー・ジョエル、ホール&オーツなどのメジャーな洋楽路線の食材を、日本風に調理したようなものである。確かに器用なところもあるし、「TSUNAMI」や「みんなの歌」、「いつか何処で」など桑田節ともいえるクオリティの高いオリジナリティも獲得している。あと桑田のキャラクターは非常に素晴らしい面も多いし、文才もある才能豊かな人間だとも思っている。
 とはいえ、この2008年にサザンオールスターズの曲ばかりかけるというのは、なんかかける方もそうだが聴いている方も悲しくなってしまう。我が国にも、サザンオールスターズより遙かに、現代的でロックしていて、曲的にも優れたアーティストがいる。こういうラーメン屋ではサザンオールスターズよりも、むしろゴーイングアンダーグランドとかを2008年の現在においては聞きたい。なんか豚骨ラーメンとゴーイングアンダーグランドはマッチするような気がする。くるりの宿無しなんかもいいし、東京事変の落日でもいい。なんかサザンオールスターズをかけていればとりあえずいいだろう、というとりあえず感にいらついたのかもしれない。そういう十年一日のような姿勢は、じゃんがらラーメンの行列の長さにも影響していると思われる。十年前に比べて、はるかに7時というゴールデンタイムにも関わらず、行列は短くなっていた。現状に甘んじている、という姿勢があるのではないか(とはいえ、私はじゃんがらラーメンは美味しいと思ったが)。
 まあ、サザンオールスターズを1曲くらい聴くのはいいが、全部のBGMをサザンにするのは2008年においては聴いている方も恥ずかしくなるということと、改めて所詮、サザンオールスターズは歌謡曲ロックであるな、ということを確認したのである。帰り道にくるりを聴いたが、くるりだってはるかにサザンオールスターズよりはロックしている。1980年だったらサザンで十分だったかもしれないが、それから30年近く経って、日本にも優れた、より正確にいえばサザンより優れたロック・ミュージックをつくれるアーティストを輩出しているのである。まあ、ラーメン屋のBGMがロックである必然性もないので、ただの八つ当たり的なフラストレーションであるかもしれない。ただ、今日はどうもBGMのサザンに苛ついてしまった次第である。歌謡曲ロックが悪いとは言わないが、自分には不必要であることをじゃんがらラーメンを啜りながら改めて自覚した。

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