SSブログ

縮小都市とアートの関係 [都市デザイン]

縮小都市のシンポジウムではアートとの関係性が大きな議題となっている。縮小都市をどうにかするうえでアートを活用できないか、ということでいくつかの試みも為されている。縮小都市とアート、どのような関係性を持つことができるのか。

まず、縮小都市はアートを展示する格好の美術館となる。縮小している都市は、それほど有効な土地利用はできない。それなら空き地になった未利用地を使って、アートを展示すればいいのではないか、という考えである。若いアーティストにとっては、公共性のある場で展示をする機会を与えてもらうことになるし、人々に作品を観てもらえるし、いい刺激になるであろう。次に、アートは縮小する都市において人々の注目を集める効果を有している。縮小都市といっても、そこに住んでいない人達にとってはあまり関心を持たれない。そういう人達の関心を惹くためにもアートは有効な手段となり得る。さらに、アートは縮小の問題を人々とコミュニケートするうえでの有効な手段になる可能性を有している。縮小都市の問題は、それが多面的に影響を及ぼすにも関わらず、なかなか問題が理解できないことだ。特に感情面でのインパクトが大きいのであるが、この感情面は統計等では表現できない。そういう問題をコミュニケートできるレベルで表現できるのはアートくらいなのである。ここに縮小都市において、アートが重要な役割を果たす理由がある。

さて、ロック音楽に話を絞らせてもらうが、優れたロック・ミュージシャンは縮小もしくは衰退している都市から出てくる。マンチェスターの話は、最近のブログで紹介したが、デトロイトからエニメム、ワシントン州の貧乏な田舎からカート・コベーンなどが出てくるのは、それなりに意味があるからだ。日本でも人口20万以上の都市では、もっとも縮小している函館からジュディマリ、GRAYが出てきたことはそれほど不思議ではない。レベッカのノッコやレッド・ウォリアーズのシャケは浦和という東京の郊外だし、氷室や布袋は富岡という田舎である。元気な都市からはなかなかアーティストは出てこない。これは、ある意味で当たり前である。というのは、幸せで何も問題がないような状況では、アートはそれほど必要ではないからである。まあ、そういう意味ではあまりアーティストが出ない方が幸せなのかもしれない。しかし、それはそれでつまらないし、そもそも、あまり悩みもなく幸せを感じるというのはただ単に感性が鈍感ということなのかもしれない。とはいえ、縮小都市は相当、そこで生活する人々にプレッシャーを与えるので、そのような都市においてはアートが大きな力となるのは間違いない。


タグ:縮小都市
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0