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フィリップ・オスワルトの講演を聴く [サステイナブルな問題]

縮小都市研究所の所長であるフィリップ・オスワルトの講演を聞く。ブランデンブルグ門の前にある芸術学院で行われた。フィルリップ・オスワルトの集客力はなかなかのものであり、200人くらいは入っていたと思う。講演はまず、人口の予測から入った。サステイナブル・グロース、持続的成長、ということを謳っているが、そもそも人口は成長をしないであろう、という話をした。確かに、成長しないのに持続的成長とかを考えても無駄である。持続的成長が注目を浴びたのは10年ちょっと前であることを考えると、あれから世の中が随分と変わってしまったと思う。

オフィスの廃墟がたくさん出来るであろう。郊外も縮小が進むであろう。石油が枯渇するであろう。そして、その枯渇する課程で、エネルギーが高くなるであろう。また、地球温暖化の話もした。多くのスキー場がスキーをできなくなる、との話をする。既に閉鎖したフランスのスキー場を紹介した。洪水も増え、アジアの海岸沿いの都市がいくつか消失するであろう、と言う。水不足の話もして、それは徐々に悪化すると指摘する。ドイツもこの問題からは逃れられない。上海は地下水が枯渇することが問題であると言う。砂漠化も大変だ。なんか恐ろしく、将来が不安になるような話が続く。

ふうむ。確かにいろいろと大変なことが、これから起きるような気がするが、縮小都市と地球温暖化は、それほど関係がない。関係があるとすると、それは地球温暖化への一つの処方箋が縮小都市というか人口の縮小である、ということは言えるかもしれない。とはいえ、縮小都市は、人口は縮小しても、面積は縮小せず、したがって人口密度が低下し、それによって一人当たりのエネルギー消費量は増えるので、賢く縮小しないと、人口が縮小してもエネルギーの消費量はスムーズには減衰しないかもしれない。砂漠化を抑えるのには、都市の拡張を防ぐことで、そのために縮小都市というのは素晴らしい解決法であると思うのである。こういうことをフィリップ・オスワルトが理解していない訳はない。私は何回か彼と会話をしたことがあるが、非常に聡明な頭脳の持ち主である。それなのに、なぜ、こういう話をするのか、というとやはりこういう都市が縮小していて大変だ!というような話を聴衆が期待していて、それに応えようとしているからではないだろうか。でも、縮小都市へのこの姿勢はそんなに感心できない。例えば、日本の将来を考えた場合、縮小というマクロな潮流はサステイナブルな将来を実現させるうえでは極めて賢い流れであると思うのである。もちろん、問題がない訳では決してない。その一つが、縮小が起きる地域と成長が起きる地域と二極化が起きていることである。自然減は問題ないが、社会源が激しい地域にはそれなりの政策的対応が必要だと思う。二つ目は、縮小に対応したしっかりとした政策の枠組みができていないことである。特に土地利用に関する都市計画法は、成長を前提につくられているので縮小する状況にはうまく対応できないのである。例えば、住宅地を農地へ転換させるような場合には現行の都市計画法ではしっかりと対応できていない。こういう問題にしっかりと対応しないと、せっかくマクロとしては処方箋として有効となる人口縮小が起きても、ミクロな範囲で多くの社会経済的問題に悩まされることになる。

今回の講演は、世界的金融危機の直後に行われた。この金融危機は、これまで都市の郊外を投機の対象として、都市を無意味に拡張させてきたファニー・メイやフレディ・マックをはじめとした成長マシーンの崩壊をもたらした。実需ではなく投機需要によって、無理な成長をさせようとしてもうまくいかない。郊外の開発を進めていくために都心を廃棄するという成長パターンは、少なくとも現時点では躓いた。都市が縮小していく中で、都市はもう投機の対象ではなくなっているのである。レベレージを使い、無理矢理投機需要を膨張させるという錬金術は崩壊した。都市の投機が継続していくということが成長である、という考えが崩壊した、という点では今回の金融危機は朗報であった。成長が是であるという幻想は、今回のドイツの縮小都市シンポジウムでもなかなかドイツ人といえども払拭できていないな、という印象を受けた。まあいい。ドイツにそれほどの知恵がなければ日本で考えればいいだけの話である。


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