SSブログ

クレイマー・クレイマーを今更ながら観る [映画批評]

 クレイマー・クレイマーを今更ながら観た。公開当時、私は中学生だった。アカデミー賞作品賞とかを受賞して、大ヒットも記録。少し、関心は惹かれたが、離婚話と子育て話は違うよな、と特に見ることもなく今日に至ってしまった。その後、私も結婚し、二人の子供の親となって、クレイマー・クレイマーを観賞するだけの人生経験を有した。そこで、傑作の誉れ高いクレイマー・クレイマーを観たのだが、これがまあメロドラマではあるが、大傑作であった。私は「おばさん」気質なので、メロドラマが結構好きで、ソフィア・ローレン主演の『ひまわり』とかクレイマー・クレイマーでオスカーの助演女優賞を受賞したメリル・ストリープの『マディソン郡の橋』とかは涙無くしては見えないような質なのである。したがって、この『クレイマー・クレイマー』にも大いに涙腺を緩くさせられた。


クレイマー、クレイマー

クレイマー、クレイマー

  • 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
  • メディア: DVD



 それにしても、改めて離婚の最大の被害者は子供であると思う。私の母親は長男である私が8歳のとき、そして31歳の時に離婚をしようとした。8歳の時は、自分の母親(すなわち私の祖母)に「私の目が黒いうちはやめてくれ」と言われて諦めた。そのことを今でも私の母親は恨んでいる。私が31歳の時は、既に自分の母親は他界していたので、私に「離婚をすることを決めた」と言った。私は、「それはいい、今すぐしろ、早くしろ」と答えたのだが、結局、母親は離婚をしなかった。おそらく、「止めろ」と私が言うことを期待していたのかもしれない。そして、後々まで「私のせいで離婚ができなかった」と愚痴をいうシナリオであったのではないか、と思ったりする。私は二人兄弟で弟も既に就職していた。母親と父親は仲が決してよくなかったので、まあぐずぐず思っているくらいなら離婚した方がいいと当時は思っていたし、その12年後に父親が死の床についた後、仲の悪い母親に看病してもらうということは、プライドの高い彼にとっては相当の屈辱であったと思う。そういう意味では、むしろ早めに離縁していた方がよかったのにと父親が亡くなって二年以上経った今でも思う。なぜなら、死んでしまうと離婚はできないからである。
 まあ、そういうクールな感情を有している私ではあるが、それでも『クレイマー・クレイマー』で新たに父親と息子が引き裂かれそうになるのは、映画とはいえ心が痛む。あと10年経てば、息子も父親から離れられるであろう。しかし、小学校低学年では親と離れて暮らすのは辛すぎる。特に、ビリーの場合は一度、母親に去られている。母親に去られて、さらに裁判の結果とはいえ、父親とも別れることは心情的に耐え難いことだったのではないだろうか。
 私の母親は離婚をしても、自分が二人の子供の親権を取れる、と思っていたのだろうか。それとも、子供はどうでもいいと思っていたのであろうか。まあ45歳の中年男性になってしまった今となってはどうでもいいし、私の母親は私が中学時代に反抗的になった時に、「あんたは予定外に出来たので、よっぽど堕胎しようかと思ったのに産んだ子なのよ」と言うような荒技を平気で使える人なので、父親に任せたかもしれない。私は中学時代以降、父親とは距離があったので、それは相当、人生が暗くなったかもしれない。そうでなくても、あまり明るい青春時代ではなかったので、どつぼっていたかもしれないし、かえって吹っ切れて大物になれたかもしれない。とはいえ、親に捨てられる子供の気持ちというのは、相当、辛いものがある。その辛さが、『クレイマー・クレイマー』では非常によく表現されていて、本当に涙を誘う。フィクションであるのに、人の感情に訴える力が強い、というのは小説でも映画でも名作の条件である。人の親となると、この映画は強く訴えてくる。結婚する前だったらあまり分からなかったかもしれない。
 映画のパワーで思わず、個人的なことを書いてしまった。このブログでは、プライベートなことは書かないつもりでいたのに、愚痴のようなことを書いてしまい読者には申し訳ないことをしてしまった。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0