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優れた奴隷的労働者になるために、大金を支払って英会話学校に行く愚 [語学に関して]

英会話学校ジオスの電車の吊り側広告のコピーが「日本はもはや日本語だけでは通用しない」とかいうものであり、呆れ返った。ふざけるのもいい加減にしろ!以前も書いたことがあるが、英会話という土俵にのぼることは、ビジネスの交渉上などでは非常に不利なハンディを背負うことになるのである。相手のルールに合わせなくてはならず、まあ力の差が相当あっても、大変な苦労をすることになる。だから、私はアメリカでも7年生活していたこともあって英語にはさほど不自由していないが、馬鹿にされてはいけない場合は、日本語で話すようにしているし、日本語で書くようにしている。 JICAとかJBICとかの仕事もたまにするが、彼らのレポートも、英語を母国語とする人間からすれば、どうしても3割くらいは、本来的な知性から差し引かれた感じの文章になってしまっている。そこまでしてハンディをしょいたいのか。しかし、それでもこれだけ英語が席巻している現在、読み書きはしっかりと出来た方がいいとは思っている。私も英語の読み書きが出来るので、研究するうえでは大いに役立っている。しかし、しゃべったり、聞いたりすることはそれほど重要ではない。大前研一の英語の発音だって恐ろしく酷いのである。それでも、あれだけ通用している。なぜなら、大前研一の考えを聞き手は知りたいからである。英語のヒアリングができて、発音よくしゃべれるというのは、アメリカ人の上司にとって都合がいいだけであり、それは優れた奴隷的労働者に求められる資質でしかない。優れた奴隷的労働者になるために、大金を支払って、英会話学校に行くことほど、愚かしいことはないと私は痛切に思うのである。
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