SSブログ

東長崎の商店街が活力を維持しているのは、自動車がほとんど駅にアクセスできないからだ! [都市デザイン]

久しぶりに実家のある豊島区東長崎の商店街を歩いた。日本で生き残れる商店街は東京と大阪にしかないと言われるが、東京の商店街の多くも衰退が著しい。しかし、そのような中、東長崎は未だ活力がある。活力があると診断させるのは、まず店舗の多さとそして多様性である。そして、歩行者の存在である。東長崎は富裕層があまり住んでいない。安アパートも多く、大学も立教や日大、武蔵大などがそばにあることもあり多くの下宿学生も住む。高層マンションは立地していないが、人口密度は高い。統計をチェックしていないが、人口当たりの保有自動車数も低いと思われる。したがって、商店街からの徒歩圏に多くの潜在顧客を抱えていることが、その商店街の活力を維持していることに寄与していると思われる。しかし、東長崎の商店街が活力を維持している最大の要因は、自動車がほとんど駅にアクセスできないことだと思われる。東長崎駅の前にはタクシーが客待ちするようなスペースもない。そもそも、スペースどころか、駅まで自動車で来ることは至難の業というか不可能に近い。道が狭いし、その狭い道に自転車が所狭しと駐輪している。しかも、人が多い。その結果、商店街は歩行者天国なのであり、高齢者も皆、安心してそこを歩き、ウィンドーショッピングや冷やかしができる。

自動車はショッピング・センターやスーパーマーケットならいざ知らず、商店街には百害あって一利なしである。業態によっては、自動車でのアクセスを向上させることによって商圏が広がるということはあるかもしれないが、通常の駅前商店街では、むしろ商店街という空間のアメニティを大きく低減させ、客足を遠のかせるだけである。いい事例が、現在私が住んでいる永福町の商店街である。たいして広くない道路を一方通行にし、速く自動車で走行することを可能にした。私は商店街を歩いて帰りたいのだが、傍若無人の速さで自動車が傍らを走るのが嫌で平行して通る住宅街の道で帰っている。私でさえそうであるのだから、乳母車を押している母親や、幼児と買い物に行っている人などは、なおさらであろう。顧客をわざわざ失うようなことをして、もったいないことである。しかも丁寧にバスまで走らせている。永福町は駅前を井の頭通りも通っていることもあり、駅という多くの人を集客する装置を有していても、そのメリットが全然商売的に享受されていないと感じる。これは、その駅を利用する人々にとっても残念なことである。

他にも東京でうまくいっている商店街である十条や麻布十番、阿佐ヶ谷、高円寺などは、うまいぐあいに自動車を他の通りに追いやって、商店街はヒューマン・スケールの空間を維持することに成功している。これはいい飲み屋街の条件にもなっており、四ッ谷の荒木町や神楽坂なども自動車が入れないような路地に人々は惹きつけられるのである。神保町もいい飲み屋が集中しているのは喫茶店さぼうるのある路地だったりする。私もあの路地にある鮨屋を贔屓にしている。京都の先斗町が、あれだけの艶やかさを有しているのは、やはり自動車を排除した空間づくりのためであろう。しかし、これだけ明らかなことでも、多くの商店街が未だ道路の拡幅や駐車場の設置を主張していることは愚かであり、残念なことである。
nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0